ネパール旅行記 ーその1ー     


 97.12.21から98.1.7までの18日間、ネパールへ行きました。メンバーは私と高1の息子、福知山高校の小滝篤夫先生の3人。主な目的はネパールの山を見ること以外に、インドプレートとユーラシアプレートの衝突の現場を見ること、テチス海の褶曲した堆積岩とその中の化石(主にアンモナイト)を見ること、チトワン国立公園のジャングルで、ぞう、さいなどの動物を見ること、さらにネパールの子供たちや人々の生活を見ること、でした。

 計画した予定ルートはカトマンズからポカラに飛び、一泊後すぐジョムソンに飛び、歩いてムクチナートへ行き、そこからカリガンダキ川を下って、タトパニ、ベニーからポカラに戻る、さらに余裕があればチトワンへ行って象に乗るジャングルサファリに参加するというものです。この日程で約15日ほどかかるので予備日は2日ほどしかない強行軍です。

 航空券は大阪の梅田にあるアスカトラベル(Tel:066-365-5353 Fax:066-365-5733 )という会社に頼みました。ロイヤルネパールの直行便は週2便ですが、乗客数が150〜200人くらいの小さい飛行機なので、年末年始は客が殺到して席を確保するのが非常に難しいです。8月下旬にアスカトラベルまで直接出向いて、社長のヒラチャン氏に直接お願いしたかいがあって、何とか一ヶ月前の11月中旬にOKが出ました。運賃は往復14万9千円でした。

 普通ネパールへ行く場合、こちらからガイドまたはポーターを予約していくようで、アスカトラベルでもすすめられましたが、それはせず、カトマンズでの初日の宿と帰る前日の宿、それに現地での航空券(ポカラ〜カトマンズ往復とポカラ〜ジョムソン片道)だけを予約して行きました。(それらをあわせて約5万円。)

 そのかわり、ネパールの情報は本、雑誌、インターネットなどを通じてたくさん集めました。雑誌”山と渓谷”には、ネパールの旅行記が最近よく出ているし、中沢正夫氏の「心やさしきネパール」(山と渓谷社)と大関 保氏の「ネパールヒマラヤの山旅」(穂高書店)には今回とほぼ同じルートの記録があります。また、”旅行人”という雑誌のホームページ に、詳しいアンナプルナ・トレッキング地図情報(95年現在の)が公開されていて、有料でコピーを入手できます。現地の村の詳しい地図以外に、どこの宿の食事がいいか、値段はいくらかなど、という細かい情報まで載っています。少し古い情報ですが、これがあればガイドは不要です。

 現地でのお金はドルがいいので、一人分の費用として、キャッシュとTCあわせて500ドル(1ドルや5ドル札が必需品です。)、予備に円を少しとマスターのカードを持っていきました。

 結果として、費用はすべてを入れて、一人約27万円かかりました(もし旅行社の18日間ツアーだったとしたら、たぶん35万円を下らなかったでしょう。そう考えると安い、そのかわりガイド・ポーターはなし)。現地でのヘリのチャーター代が予定外の出費だった以外は、だいたい予想どおりでした。

ヘリ.JPG (16684 バイト) ポカラからジョムソンへチャーターしたへり。

 ネパールの印象はGOODだったのですが、その理由は以下のとおりです。@山の迫力がすごい。A人が素朴で親切。B昔のままの自然が残っている。C物価が安い。D農産物(みかん、りんご、じゃがいも、卵など)がみなおいしい。E山小屋(ロッジ)が快適。F子供がかわいい。G英語が適当にしゃべれれば、ガイドなしの旅行でもNO PROBLEM。H交通事故は怖いが治安はいいほう。

 気をつけることは、病院がないので薬を各種持参すること。ネパールには残念ながら、肝炎や、赤痢、狂犬病など、さまざまな伝染病がまだ存在しています。それから荷物は極力少なくすることです。今回のコースでは、冬山用シュラフと着替え(下着2着と予備の厚手靴下。)、タイツと冬山用の上着(スキーウエアでもよい。)、帽子、手袋、テルモス、ヘッドランプくらいで、あとは何もいりませんでした。

 ハードな山歩きで体重は約3kg減りましたが、おもしろい旅行でした。


12/21(日)

 3年担任の学期末激務を必死でこなして迎えた終業式の翌日、福知山から福知山線経由で新大阪に行き、「はるか」に乗りついで関空に着いたのが10時すぎ、ロイヤルネパールのカウンターにはもう大勢の人が並んでいた。みんな山行きの服装、装備なのでトレッキングに行くのだと一目でわかる。荷物チェックでアルコール固形燃料がひっかかり没収された。固形燃料は大丈夫と思ったのに、残念。みれば、すでに何個か没収されていた。ロイヤルネパールの座席は通路をはさんで片側3人の6人がけで、一列がAからFまで。7列目は後ろが壁でシートがリクライニングしないのでさけた方が無難(知らずに帰りにあたった)。

 12:40の定刻より1時間ほど遅れて離陸。小さい飛行機なので速度感がある。途中、上海に1時間ほど立ち寄るのは給油のためなのか?機内はほぼ9割がた日本人で、年輩の方がめだつ。いわゆる中高年だが、自分もその一人だ。しかしその自覚はない。スチュワーデスに聞くとこの飛行機は上海から南に向かいクンミン(昆明)上空を通り、その後西に向かってバングラデッシュのあたりから北に向かい、カトマンズへ向かうらしい。バングラデシュのあたりではもう真っ暗になった。乗務員に頼んで、操縦席をのぞかせてもらう。初めてのぞく操縦席は視界が大きくひらけ上も下もよく見える。ネパール人の機長以下3人の方がいて、きさくに話しかけてくれる。空には星がいっぱい。満天の星空とはこのことかと感動。以後、ネパールではどこでも星がきれいだった。もちろん天の川がくっきりと見える。これは、空気がきれいという理由以外に、乾季で天気がいいのとまだ電気のない地域が多くあかりにじゃまされないからだろう。

 下の方にぽつぽつとホントに小さい灯りがさみしげに真っ暗な闇の中に見えている。この乏しい灯りを見て、ああやっとインド、ネパールの地に来たんだという実感が湧いてきた。カトマンズのトリブバン空港に着いたのは、午後7時すぎ。ヴィザは日本でも取れるが、その必要はない。空港で簡単にとれる。ただし、ドルの現金が要る。滞在期間によって金額が変わるが、18日間では一人25ドルだった。空港で両替えもできるが、人の列ができて時間がかかるのでやめた方が無難。ドルがあればとりあえず何とかなる。ヴィザの申請をして外に出ると、予想どおりものすごいタクシー呼び込みの人の群れが待ち受けていた。そばに机があり、そこでタクシーをあっせんしている。聞くと市内まで4ドル(1ドル約62ルピー)か200ルピー。ちょっと高い気もしたがチケットを買って、タクシーに乗り込もうとしたらまわりからわっと人が寄ってきて、荷物をとりあげトランクに入れてくれる。何だこの人たちは、タクシーの運ちゃんの仲間か?親切な人たちだ、と思って乗り込むとドアの横から、何か叫んでいる。チップ、チップと。えー、荷物をトランクに入れるだけでチップ?そんなばかな。こちらもノー、と叫んでドアをしめたら、運ちゃんはすぐ車をスタートしてくれた。戦場のような喧噪の空港をあとにして、カトマンズ市内に向かった。

 今夜のカトマンズ・ゲストハウスは由緒あるホテルらしく宿泊客は欧米人が多い。案内された部屋は広い3人部屋だが薄暗く、トイレ・シャワー付きだがトイレの水の出が悪く、いまいちの部屋だった。どうもホテルに着いたのが8時半と遅く、残りものの部屋だったらしい。ホテルの前の両替所で200ドルをルピーに両替し、そのへんを歩いてみる。リキシャーという自転車つき人力車のような乗り物が道ばたに何台も停まっていて、運転手のおにいさんが、どこ行きますかと日本語で声をかけてくる。野良牛がぼーっとつったっていたり、何をするでもない、なんとなくそのへんにいる、といった感じのひとがいっぱい道にあふれている。薄暗い街灯りでほこりっぽく、なんとなく異様な雰囲気の街、でも何かエネルギーに満ちている魅力的な街、それが夜のカトマンズだ。

 とりあえず、本屋にはいってアンナプルナの地図をさがした。ドイツ製の10万分の1地形図がまあまあなので買うことにして、レジで値札1445ルピーに対して2000ルピーを支払った。しかし、店員は何となく怪訝な顔をしておつりをくれる。その理由は、近くの本屋で同じ地図を1000ルピーで売っているのを見つけて、すぐにわかった。定価はでまかせなんだということが。だまって額面通り買う人は無知な外国人以外は誰もいない。店員も私が値切らないので怪訝な顔をしていたわけだ。以後は、どんなものでも値切る習慣ができた。宿に帰るともう11時だった。

12/22(月)

 7:00起床。ホテル近くのパンパーニッケルというパン屋は焼きたてのパンが安く食べられ、広い庭にテーブルがあって感じのいい店だ。10ルピー(1ルピーは約2円、物価が安い)のミルクテイーを飲んでいると、隣のテーブルにいる日本人の二人ずれの話が断片的に聞こえてきた。ジョムソンは大変だったみたいだ。停電で。…。」 へー、ジョムソンでなにかあったのかな。洪水でもおきたのだろうか?とちょっと不安になった。

 とりあえず、帰国便のリコンファームとポカラ、ジョムソンへの国内便航空券の受け取り、トレッキングパーミットの申請(業者が代理で取ってくれる)のためにアスカトラベル本社へ行くことにした。本社はダルバールマルグから一つ東の通りにある。ここの女性従業員は若くて美人ばかりだ。そこでジョムソンの情報を聞くと、ジョムソン飛行場は大雪のため長い間使用不能だったらしい。しかし、もう大丈夫でしょうという話だった。ほっと安心して、時間つぶしにダルバール広場の観光をする。ここにある寺院は改修工事中だったが、人が多い。5m歩けば、ネパール人が寄ってくる。小さいバイオリンみたいな楽器や装飾品を持って、安くしますよと。ガイドしますよ、というのも多い。NOといってもしつこくついてくる。これには閉口する。観光は静かにしたいものだ。

ネパール市内.JPG (16254 バイト) ダルバール広場にて

 昼は王宮前のダルバールマルグにあるナングロという店で、ネパール定食(140ルピー)を注文した。これは、ご飯にチキンやラムや豆のカレー煮などの各種カレーがついたようなもので、日本人の口に合う味だ。

 飛行場に向かい、19人乗りのツインオッターというカナダ製のプロペラ機に乗ってポカラに飛ぶ。この飛行機は頑丈で悪条件の滑走路でも大丈夫らしい。天気は快晴で右側にヒマラヤの白い峰々が夕日に輝いている。いつかあの頂上に立ってみたいと夢に見たヒマラヤ、神々の山という形容がふさわしいあのマナスルやアンナプルナの山々がパノラマ写真のように見えている。

 ポカラの宿はレイクサイドにあるホテル・マウンテントップ。ここの主人タパ氏は色黒で年齢30くらい(ネパール人の年齢は外見ではわかりづらい。人生経験が豊富なのか、生活の苦労のためか、老けて見える人が多い。)、誠実そうな人柄で信頼できる。3人部屋で20ドルとちょっと高い気もしたが、トイレ、ホットシャワーつき、衛星放送のはいるテレビがあって、日当たりがよく広い部屋なのでOKする。ポカラは日本で言えば上高地といった感じで、梓川の代わりにペワ湖があり、穂高のかわりにマチャプチャレがある。ここの湖畔のレストラン、エレガントビューは、夜にはまきを燃やしていて、雰囲気がいい。フライドライス(焼きめし)、チョウメン(焼きそば)、スプリングロール(春巻)を注文した。どれも口に合う。3人で888ルピー。ビール(110ルピー)を飲まなければもっと安上がりなのだが。ネパールのビールはツボルクやサンミグエルなど4種類あって、どれもうまい。

 なお、水は、宿でボイルドウオーターをいくらでもわけてくれる。

12/23(火)

 6:00に起きて7:00に空港へ行く。ジョムソン行きの飛行機に乗るためだ。しかしカウンターには誰もいず、ポリスに聞いたら、フライトキャンセルだ、という話。仕方ないので、状況と見通しを聞きにルンビニエアー(航空会社)のオフイスへ歩いていった。歩いて10分ほどで着いたが、営業は8時からというので、近くの街角のうすぎたない茶店でティーを飲んで待つことにする。ネパール人はティーが大好きで、街のあちこちに茶店がある。飲んでいると、一人のおじさんが話しかけてきた。おきまりのどこから来たか、何歳か、どこへ行くのか、何日ネパールにいるのか、といった質問で会話がはじまる。その人は昔トレッキングガイドをやっていたそうで、あちこちの山の話をしてくれた。アンナプルナベースキャンプはいいところだ、ジョムソンは風が強いぞ、とか。彼は今ホテルを経営していて、一泊2ドルで泊めてやるぞ、来ないかと誘ってくれる。宿の売り込みの話なのだが、あまり嫌味がない。好意で言っているらしい、というのが伝わってくる。一見うさんくさそうだが、うちとけるとむちゃくちゃ親切、こういうネパール人が多い。

 さて8時にルンビニエアーのオフィスへ行って聞くと、ジョムソン飛行場の再開はおそらく12/30日頃になるだろう、ということだった。これはショックだ。30日に飛んだのでは、1/5に歩いてポカラに帰ってこられない。それに30日まで待つ間、何をするか考えなければならない。困ったことだ。そこでとりあえず、チトワンへの2泊3日ツアーを先にすませて12/25にポカラに帰ってきてから、先のことを考えようということにした。それで12/26のフライト予約をしてホテルに帰った。

 ホテル・マウンテントップのマネージャーをつとめるグルンさんは、前にガイドをしていた時に知り合った日本人女性と結婚されていて、日本語がしゃべれる。こういうネパール人男性と日本人女性というカップルは結構多いらしい。奥さんはデザイナーをやっているとかで日本にいて、1月中旬にネパールに来るということだった。グルンさんにお願いして、チトワン行きをアレンジ(2泊3日で一人100ドル)してもらい、すぐ彼が呼んだタクシーでチトワンの村、ソウラハへ向かった。タクシーと言ってもボロボロの軽のバン。

みかん売り.JPG (22093 バイト) 途中の道沿いでみかんを売っていた。一個2ルピー、これはうまい!

 9:45にポカラを出てソウラハのサファリ・ワイルドライフ・ロッジ&キャンプに着いたのは14:40だった。ネパールの道路事情は決して良くない。幹線道路なのに舗装が満足でないところがいっぱいある。それにけっこう無理な追い越しをして、事故がたえない。クラクションはならし放題。牛やニワトリや犬が道路上をうろうろしているのでしかたないが。ただ、途中で買ったみかんはホントにうまかった。

 ソウラハというのはインドに近い田舎村で、ここの住民はタルー族といい、今でも粗末なかやぶき?の家で土間に直接むしろや毛布をしいて寝ている。夕食時に見に行くと近くの川で採ったタニシや川エビ、小魚などを料理している。これならまるで縄文時代の採集生活だ。それにかまどはなく、地面のへこみで木を燃やして調理している。亜熱帯で、季候がいいのでたくさん収穫できるのだろうが、軒下にはトウモロコシがたくさん干してあった。

ネパール旅行ーその2ー

12/24(水),25(木)

 この田舎に一大観光村が出現している。これはジャングルと野生動物を保護し象を繁殖させて実施したジャングルサファリが成功して、多くの観光客が訪れるようになったから。ここの宿は、なかなかしゃれたいい宿ばかりだった。ベッドにはなつかしい、”かや”も吊されている。翌朝、ジャングルウオークに出発した。これは2人のガイドについて、ジャングルを歩くというものだ。最初に注意があった。もしサイがおそってきたら高い木に登るか、持ち物や衣類を捨てて逃げるように、と言う。うそー、冗談でしょう、とその時は聞いていた。ところが、サイが本当に現れたのだ。

  ジャングルに入って10分ほど歩いたとき、先頭のガイドが突然立ち止まって動くな、という。背丈以上も草が生い茂っている場所なので何も見えない。ガイドは緊張した顔で、すぐ横にサイがいる、ゆっくり下がれ、という。心臓がどきどきしてきた。なにせ、ガイドは長い木の棒を一本持っているだけ。サイが向かってきたらどうしようもない。客は我々とノルウエー人の若いアベックの5人。息をひそめてじっと様子を見ていた。すると20mほど前方にサイが現れた。体長3mはありそうなでかいサイだ。子をつれている。これは危険だ。ぞーっとする。サイはじろっとこちらに流し目をして、しばらくじっと考え事をしているように見えた。ほんの一瞬だったが、ずいぶん長く感じられた。それから、サイは悠然と歩いて向こうへ行ってしまった。一同、顔を見合わせて、ほっとしたのはいうまでもない。ガイドによると、今までこのウオークで二人のガイドがサイとトラに襲われて亡くなった。、以前おそわれて亡くなったガイドはサイに気づかずに通り過ぎようとして襲われたということだった。我々も危機一髪、スリル満点のジャングルウオークだった。

ジャングル.JPG (19669 バイト) ジャングルウオークの途中、休憩。

 次は象に乗ってのジャングルサファリ。象使い一人に4人の客が背中に乗って散策する。象さんは従順だ。約2時間歩き回って、サイや猿、野鳥を見たが、危険は全くない。象より強い動物はいないのだから。象の背中はよく揺れて、結構疲れる。

 ここのロッジのマネージャーはラメシュという。20代前半のエネルギッシュな人で、恋人の日本人女性がもうすぐ来るというので、張り切っていた。ネパール人が日本人に好感を持っているのは、同じアジア人で顔形が似ているのと、過去に侵略の歴史がないからだと思う(ただ、グルカ兵として東南アジアなどで日本軍と戦った人はいる)。反対に日本人から見ると、ネパール人男性には、バイタリティがあって仕事のできる魅力的な人が多い。ちょっと最近の日本の若者にはない野性的なタイプだ。こういう人に日本の女性は惹かれるのだろう。ラメシュさんと我々はすっかり仲良くなって、そこに居合わせたラメシュの友人のガイドと5人で、夜、ロキシー(ネパールの地酒)を飲みに近くの居酒屋へ行った。居酒屋といっても看板もなく、普通の農家という感じの家だった。中にはテーブルが一つとイスがあるだけ。料理は川魚の煮物と唐揚げ。これがまたうまい。これをネパール風に右手で食べながら飲んだロキシーは、バターを少し混ぜたのと焦げた米の入ったものがあってどちらもうまかった。この店のおばさんはシャイでなかなかの美人だ。ロキシーをコップ5杯も飲んでしまった。

ぞう.JPG (15955 バイト) 象にのる。

 翌朝、象の繁殖場を見学して子象を見た後、バスでポカラに向かった。このバスは疲れた。なんと満員で6時間もかかった。窮屈だし、ゆれまくるしもうコリゴリ。

12/26(金)

 この日、ホテル・マウンテントップのグルンさんの奔走のおかげで、幸運にもわれわれはチャーターヘリでジョムソンに飛べることになった。彼は前日の夜からあちこち電話をかけまくって、手配をしてくれた。5人乗りヘリの代金は一機1000ドル。5人で割ると一人200ドル。我々3人の他には、ネパール人二人が乗ることになり、その結果我々は一人250ドルということになった。外国人は割高になるのが常識なので、仕方ない。それよりジョムソンに予定通り行けるということの方が重要だ。時間が金より貴重。感謝。

 11:40にポカラ飛行場を離陸して12:20にジョムソン着。天気は快晴で、右手にアンナプルナ、ニルギリ、左手にダウラギリが圧倒的な迫力で迫ってくる。下方に見えてきたジョムソンは写真集では見慣れない雪景色だ。生まれて初めて乗るヘリは快適。この日はカリガンダキ川特有の強い南風が吹いていなかった。

 ジョムソンの宿は空港前のホテル・スノーランド。ここの主人はアーナンダーさんという年配の方(55歳)で今は息子があとをついでいる。宿を新装改築中で、できたばかりの部屋に案内された。トイレ、シャワーつきだが、水道が凍り付いて断水状態で使えない。 一室250ルピーでちょっと高いが、私たちを家族のように扱ってくれて居心地がいい。夕食にはアップルワインと羊肉の薫製をサービスしてくれた。アップルワインはこのジョムソンとちょっと下流のマルファでしか売っていない。純度が高くうまい酒だ。

ニルギリ.JPG (11256 バイト) 夕暮れのニルギリ・ノース、ホテル・スノーランドの庭より。

 今回の雪はこの地域では何十年ぶりかの大雪で、放牧中のヤクや山羊がたくさん死んだようだ。12/10と12/11の二日間の大雪での積雪量は約1m。飛行場の滑走路は除雪できていたが、ぬかるんでいて夜凍りつき使いものにならない状態だった。全部乾くまでにはあと数日かかる。朝6時に気温をはかると、外でー6℃。ポカラから遠いこの地域では飛行機が飛ぶかどうかが、観光客の数を大きく左右するため、生活に直接かかわる大問題となっている。 

12/27(土)

 ホテルを8:30に出発してカリガンダキ川を上流にむかう。途中に、かつてインド大陸がユーラシア大陸に衝突する前にあったテチス海の堆積岩が、衝突にともなって大きく褶曲した有名な地層がある。この広い谷は、かつての氷河によるU字谷と考えられる。ぽかぽかといい天気で暑い。そういえば、ネパールに着いてから雨には降られていない。途中の河原で、アンモナイトを探すが、いっこうに見つからない。紫外線がきつくて目が疲れる。ここではサングラスが必需品だ。

カリガンダキ河原.JPG (18863 バイト) 快晴のカリガンダキ川の河原

 ジョムソンから少し北にあるエクレバッテイに着き、ホテル・ホリデイ・インの前を通ると、感じのいいおばさん(といっても20代の女性)が声をかけてくれたので昼食にした。カレー味のフライドポテト(ゆでたジャガイモを炒めたもの)がビールにあう。ここで一休みして、カグベニに向かう。すぐそこに村の建物が見えているのになかなか着かない。

エクレバッテ.JPG (17664 バイト) エクレバッテイのホテル・ホリデイ・インで、昼食。ビールがうまい。

 カグベニのホテル・スターには午後3時に到着。着いた頃から曇ってきて、風が出て寒い。気温4℃。宿は私たちだけで貸し切り。何となく人気がなく寒々としている。屋上のガラス張りの部屋(喫茶室?)からは北側にムスタンの風景が広がっている。あの向こうはチベットだ。川の向こう岸の山の斜面には、山羊が100頭あまり放牧されていて、乏しい低木の葉を食べているのが点々と見える。山羊は険しい崖をものともせず、勇敢に歩き回っている。その崖で、時々ゴーという音がして落石が起きている。あんな大きな石がぶつかったら即死だ。落石の下には道があるのだ。

 この辺りの民族はチベット系で日本人とそっくり。ただ、体を洗わないからか肌は土色だ(それは空気が乾燥しているので洗わない方が合理的だからだ)。顔をきれいにあらって、日本の衣装を着て東京を歩いたら、はっと振り向くような美人がいっぱいいる。窓の向こうに小学生くらいの女の子が2人、こっちを見て手を振っている。かわいい。何とかしゃべろうと、ネパール語会話集を出してきて話しかける。名前は?ねえさん(ディディー)はどっち?何歳?など。なかなか言葉が出てこない。ネパールに来て覚えたのは、ナマステ(こんにちは)だけ。タクシーの運ちゃんも、宿の人も、レストランのウエイターもみんな英語ができるので、観光だけならネパール語は必要ない。ネパールの義務教育は無償だが、それ以外に金持ちの子弟が行く私立学校があって、そこでは授業の8割は英語でおこなわれているという。普通の小学校では2割。英語ができることが即、観光業などの仕事と結びつく国だ。日本語に対する関心も強く、あちこちで若者から日本語を教えてと声をかけられた。街の物売りのおばさんは日本人には必ず、日本語で”ちょとみるだけ”と声をかけてくる。この国では生活と結びついた語学教育がなされている。しばらくして、女の子は屋上に干していた衣類をかたづけて行ってしまった。

 5時になった。部屋には暖房がないので、寒さでがまんできなくなり食堂のこたつに炭火を入れてもらう。ついでに石油ランプも。このランプはあかるい。これで一息ついた。夕食で注文したガーリックスープがからい。どうもチベット文化圏では料理に塩分(岩塩)をたくさん使うようだ。

ネパール旅行その3ー

12/28(日)

 6:30起床。外はー4℃。室内はー1℃。トイレの水も表面が凍っている。今日はカグベニ(標高2800m)からジャルコット、ムクチナート(3800m)まで、約1000mの登りだ。小滝氏の荷物が重いので宿の主人に頼んで一人ポーターをやとうことにする。マダタという青年だ。登りだけで約半日の労働だが400ルピーの日当になる。ネパール人の平均月収は2000ルピーなので、これは割りのいいアルバイトだ。どうもこの国では、全ての物について外国人と自国民との2重価格制になっているようだ。バス料金も、食事の料金も、農産物も。円の感覚でいうとひどく物が安く感じられるが、ネパール人の感覚では途方もない価格なのだ、ということが分かるまでしばらく時間がかかった。日本人の平均月収との比較から、おおよそ、物の価値=(ルピー価格×50)円という式が成り立つということがやっと理解できるようになってきた。この計算ではマダタ君のアルバイト料は2万円ということになる。

 8:45出発。ポーターのマダタ君は物静かな好青年だ。だまって、もくもくと我々の後を歩いてくる。荷物は約15kg。中には50kg近い荷物を10代のまだ子供のポーターに背負わせているグループもいる。ひどい話だ。

雪道.JPG (17174 バイト) 一面雪の道。帰りはここでなだれが起きていた。

 快晴のなか、村を出て登りにかかるとあたり一面の銀世界だ。これじゃ、冬山だ。アイゼンとピッケルを持ってくるべきだった。ザイルで確保したほうがいいなというアイスバーンの急斜面もある。足を踏み外したら、2〜300m一気に落下しておだぶつだ。緊張するが、地元の人は運動靴で歩いている。小さい踏み跡を慎重に歩く。登るにつれぐんぐん白峰が目前に迫ってきて、すごい迫力だ。やっぱり7〜8000mの山は日本の3000mの山とは全然違う。12:05にジャルコットの山小屋ホテル・ソナミに到着。屋上からの景色のあまりの美しさにみとれてしまう。スイス・グリンデルワルトの山小屋のようだ。すぐ後から着いたドイツ人もGOOD!いやGUTE!を連発している(ちなみにジョムソンを通過する外国人で一番多いのはドイツ人で日本人は6番目)。快晴の濃い青空と真っ白な山々をバックに宿の若奥さんとマダタくんを入れて記念写真。

 屋上のテラスにすわって、ビールで乾杯。と、ここまでは良かったのだが、ビールを飲んだとたん気分が悪くなって、吐き気がしてきた。食欲は全くなく、頭もずきずきと痛い。典型的な高山病の症状だ。本当は、午後ムクチナートへ行くはずだったのだが、あきらめベッドに横になる。それから、あくる日の朝まで、寝たきり状態。高山病はホントに苦しい。インフルエンザで高熱が出て寝込んでいるのと同じような苦しさだ。熱はないが。ふだんマラソンで鍛えているのに効果がなくてがっくり。約16時間寝たきりだった。高山で酒は禁物。

 ここの村は自力で発電施設(水力発電)を持っていて、驚いたことに、夜じゅう電気がついていた。

12/29(月)

 朝、目が覚めたとき頭痛がなくなっていたので、ゆで卵をなんとか一個無理に食べて、ムクチナートへ向かう。今日は天気が良くない。曇りだ。片道約1時間の行程だが、無理をせず、ゆっくり登ることにする。しかしムクチナートへ着くと、やっぱりまた頭痛がしてきた。

ムクチナート.JPG (14498 バイト) ムクチナートの寺院、向こうの壁に聖水の蛇口が並んでいる。

 ムクチナートというのはヒンズー教と仏教の両方の聖地だ。あの河口慧海も”実にばかげた話で

泉がある”といっているが、はっきりいってたいしたところではなかった。50cmの雪(おそらく降ったときはこの3倍の積雪だっただろう)に一面覆われていたからかもしれないが。いくつもの蛇口から流れ出る聖なる水や、お堂の中の仏像などをひととおり見学して、すぐ下山にかかる。ムクチナートでは、高山病でちょっと思考能力が麻痺していたかもしれない。

 山を下るのは楽なはずなのだが、朝から卵一個で、食欲なく頭がボーとしている身にはこたえる。それに天気が悪く、風も強くなって、あたり一面きびしい冬山と化していたからなおさら。午後で気温が上がり少しやわらかくなった雪に足をとられながらよろよろと下っていくと、途中の雪の急斜面で雪崩が起きていた。道の一部が雪崩で覆われている。これにはびびった。ほとんど人通りのないさみしい道だ。こんなところで遭難したら誰も気がつかないだろう。必死に急いで通り過ぎた。カリガンダキ川の河床にあるエクレバッテイまで、ずいぶん長い道のりだったが、午後3時にようやく到着した。とにかくまだ食欲がないので、コーラだけを飲んで、すぐジョムソンに向かって歩き出した。エクレバッティから少し歩くと右側に一軒家がある。その家の前に直径1mの大きな丸い石があり、よく見るとこれがアンモナイトだ。それで、その付近に落ちている黒い泥岩の石ころを探すとアンモナイト、サンゴなど化石がいっぱい見つかった。

 この日は本当に風の強い日だった。下流側から巻き上げられた砂煙がおそってくる。向かい風。ゴーグルがあればよかったのにと思う。冬山用の目出帽が役に立つ。

 何とか、暗くなる前に、ジョムソンのホテル・スノーランドに着いた。体中がほこりっぽく、シャワーの恋しい夜だった。

12/30(火)

 朝、2機の飛行機がジョムソンに飛来した。やっと飛行場が機能しはじめたようだ。しかし、飛行機は着陸はしたが、風が強くなったため、離陸をあきらめた。ここではホントに飛行機はあてにならない。

 この日は一日休養にあてようということで、午前中、MDSA(ムスタン・デヴェラップメント・サーヴィス・アソシエイション)を尋ね、あと歩いて2時間ほどのマルファまで下ることにする。MDSAは日本のボランティアグループが常駐している事務所で、主に農業分野の技術援助をしている。

 突然の訪問だったが、歓迎してもらって、いろんな話を聞くことができた。さきほどの飛行機で一人の日本人ボランティアが見えていて、飛行機が強風でよくゆれ子供は泣き出すし、生きた心地がしなかった、と興奮気味に話しておられた。この事務所ではリンゴや野菜の栽培、ヒメマスの養殖、橋の建設など手広く活動されている。先日の大雪の時は、ムスタンのガミという村に畑作の指導のため何人かが滞在していて、雪に閉じこめられ、2週間ほど村に籠城していたということだった。この地域では通信手段が全くなく、ただ雪が融けるの待つしかなかったようだ。ムスタンの写真をいっぱい見せてもらった。ムスタンは今トレッキング料金がべらぼうに高く(1週間で700ドル)、そう簡単に行けない。政府も観光開発の立場から、この料金を値下げまたは無料にして様子をみるという案を検討しているらしいという話を聞いた。そうなれば、チャンスだ。ムスタンには是非行ってみたい。

 おいしいリンゴをたくさんいただいて、MDSAの事務所を後にし、マルファへ向かう。 この頃になると高山病の症状は全くなくなり、目的のムクチナートにも無事行けたという安心感から、足取りも軽く河原の道を歩いていった。相変わらず下流の方から砂混じりの強風が吹いている。マルファの宿はニール・ゲストハウス。ここも感じのいい宿だ。奥さんと15歳くらいの娘がてきぱきと客の応対をしている。この娘は、朝、夕、夜は宿の仕事を手伝いながら、昼間は学校に通っている。客と英語でしっかりしゃべれる。ここの料理は特にGOODだった。アップルパイも、きのこスパゲッティもおいしい。しかし、水道は凍り付いて水が出ず、ホットシャワーは今日もおあずけ。電気はジョムソンもマルファもきまぐれにつくが、すぐ停電する。ローソクの灯りでも結構明るく、充分本が読める。どの宿にもローソクは備えてある。

 夜、星を見た。長い痕の流星が一つ。電気のつかない山村の星は本当にきれいだ。

12/31(水)

 フライドエッグ(目玉焼き)とミルクティーの朝食後、マルファを後にする。ツクチェ、コバンと快調に下っていく。このあたりから黒雲母片麻岩が見られる。ラルジュンあたりのカリガンダキ川の河原からはダウラギリの麓から頂上までの全容がみえる。すぐそこにピークがあるように見えるが、高度差は5000m以上ある。氷河はかなり高い位置に見える。九州大学の酒井治孝氏の地質図では、コケタニ村の手前のあたりにMCT(メイン・セントラル・スラスト)という大断層があるはずだが、いくら探してもそれらしき破砕帯は見つからない。植生に覆われているためだろう。

ダウラギリ.JPG (18374 バイト) カリガンダキの河原からダウラギリを見る。

 カロパニあたりの標高は2500m。高木が目立つようになる。これより上流ではハイマツなどの低木がまばらに生えているだけだ。今夜はレテのナマステ・ロッジに宿をとる。古ぼけた農家の二階を宿泊所にしただけという質素な宿だ。あまり客がないのか、その辺の家具はほこりっぽい。これでも、日本の夏山の超満員の山小屋と比べたらずいぶんましだ。ゆったりとベッドで寝られるし、安いし(部屋代は3人で50ルピー)。小学低学年くらいの娘が我々の応対をしてくれる。玄関にあるテーブルの足もとに、炭火(ネパール語でアーゴー)を入れてもらって、石油ランプをつけると極楽。

ネパール旅行ーその4ー

1/1(木)

 新年おめでとう、という挨拶なしに宿を出発。ネパールの新年は1/1ではない。途中すれ違う陽気な西洋人がハッピー・ニューイヤーと声をかけてくれる。ちょっと曇りがちの天気の下、どんどんと河岸を下っていく。道沿いの石垣の石はガーネットを含む片麻岩だ。直径1cmのを見つけサンプリングする。ガーサを越え、標高1500mのダナンあたりまで来ると、みかんもバナナもはえてくる。このカリガンダキ川沿いの道は、ムクチナートの標高3800mからベニーの標高800mまで、3000mの落差があり、生物の垂直変化がよくわかる。

河原の骨.JPG (20143 バイト) 河原に落ちていた正体不明の骨。たぶん馬?

 岩石は次第に緑泥片岩にかわっていく。この辺のニワトリは本当につやがいい。羽がきらきらと輝いている。放し飼いで、自然の草をいっぱい食べているからだろう。ケージに閉じこめられて、配合飼料を食べるだけの生活をしている日本のニワトリとはおお違いだ。みかんがうまいのは堆肥がたっぷり根元にやってあるからだろう。

 16:10タトパニ到着。トレッカーズ・ロッジに宿をとる。この宿と近くのダウラギリ・ロッジは、ヨーロッパ風の洗練された雰囲気があって西欧人の客が多い。タトパニは観光客が多い。客が多いのは温泉があるからだ。河原に10m四方くらいの湯船が二つある。入浴料は一人5ルピーで、水着(柄パンでOK)を着てはいる。ただ、残念ながら営業は7時までで、夜はだめ。この日は日本人がいっぱいだった。きっとツアーの人たちだろう。年末チャーター便のツアーだと、ゴレパニを越えてちょうどこのあたりに来ているはずだ。元旦に温泉を、というツアーだろう。久しぶりに湯に浸かり気分は最高。ビールびん片手に入っている日本人もいる。ここでの電気はオールナイトOK。

1/2(金)

 今日はベニーまで歩くことにして、8:30に出発。本当はゴラパニへ行くはずだったが、きつい登りの峠道だし、すでにヘリでこの上空を飛んでいたので、そう無理して登る意義もない気がしてきて峠越えはやめにし、川沿いの道をえんえんと下っていく。途中何度もロバの隊商とすれ違う。ロバもいっぱい荷物を背負わされてしんどそう。狭い険しい道なので、通り過ぎるのを待たねばならず、時間がかかる。途中茶店で昼食。バナナ一本4ルピー。味はいまいち。ヌードル・スープはうまい。やっとの思いで、4:30頃ベニーに到着。川沿いの楽な道だろうという予測は甘かった。約8時間も歩いてくたくた。宿はホテル・ドルフィンにする。3人部屋が400ルピー。ここの料理は時間がかかったが、うまかった。私はバッファロー(水牛)・ステーキにした。予想外に柔らかい肉でおいしかった。チキンカレーもうまい。チキンは骨付きだ。だいたい、料理は時間のかかる方がうまいようだ。

1/3(土)

 この日のことはあまり書きたくない。この日は疲れたから。気分良く宿を出て、タクシーでポカラに帰るはずが、バス停に行ってみるとタクシーはなく、満員のバスがまさに出発しようとしていた。この次の便は2時間後というので、あわてて飛び乗る。車掌が屋根の上に乗れというのを、なんとか頼んで、中に入れてもらった。しかし、天井の低いバスの中で背をかがめて立っているのは疲れる。途中で座ったが、運転席横のエンジンの上で、後ろ向き。5時間の辛抱。もうネパールでバスはうんざり。途中、事故を二つ見た。着いてバスの屋根の上を見たら、人でいっぱいだった。

1/4(日)

 ポカラでこの日は休養日。ペワ湖でボートをうかべ(一日貸し切りで400ルピー)てダムサイドまで行き、上陸してスルジェ館へ昼食に行く。スルジェ館というのは日本人の平尾氏が経営している宿で、どうやってスルジェ館を建てたかという本が日本で出ている(平尾和雄著「ヒマラヤ・スルジェ館物語」講談社刊)。日本人旅行者のたまり場になっている宿だ。メニューには日本料理もある。ビールが80ルピー、ティー5ルピーと安い。特製バターチキンライスがうまかった。平尾氏は現在日本にいて不在だった。

 午後は湖畔のレストランでボーとしていた。夕方は土産物買い。Tシャツ(120ルピー)、ヤクの毛のセーター(800ルピー)など、衣類が安い。いらなくなった「地球の歩き方」や文庫本、雑誌などを本屋で売ると、何と500ルピーで買ってくれた。

マウンテントップ.JPG (19657 バイト) ホテル・マウンテントップの玄関で、主人のタパ氏とお別れ。

1/5(月)

 ホテル近くのパン屋でクロワッサンとゆで卵とティーの朝食をとった後、宿の主人タパ氏に別れを告げ、ポカラ空港へ。飛行機は1時間遅れで離陸。天気は曇りで今回は山が見えない。カトマンズに着いてすぐアスカトラベル本社へ行き、ポカラ〜ジョムソンのキャンセル航空券の払い戻しをお願いする。翌日、また来ることにして、カトマンズ・ゲストハウスへ。今度案内された部屋は良い。ベッドもきれいし、テレビもあるし、暖炉もある。日当たりもよく、前回とはえらい違いだ。これまでの旅の疲れか、しばらく昼寝をしてから、4時頃街に出る。すごい人出だ。それも外国人観光客ばかり。このあたりがタメル地区といって、中心街だ。今回は歩いていてもあまり声をかけられない。たぶん、長い滞在で顔も真っ黒に日焼けして、ネパール人と同化していたからだろう。刃渡り30pくらいの立派な山刀(ククリ)を1000ルピーで売っている。500ルピーにまけないかと交渉すると、即座にOKだった。どうもおかしいなと思って帰ろうとすると、小滝氏にはなんと300ルピーでどうかと話しかけてくる。いらない、と言って帰りかけると今度は200ルピーだ。もう頭がおかしくなってしまった。いったい本当の値段はいくらなんだろう。

1/6(火)

 昼までホテルでねばって暇をつぶし、アスカトラベルに行ってびっくり。なんとキャンセル料はルピーで払い戻しだという(そういうきまりになっている)。うわー、ネパールでの最終日に大金のルピー(といっても二人で100ドル分だが、長いネパール生活で金銭感覚が麻痺している)をかかえてどうしよう、と途方にくれていると、居合わせたアスカトラベルでアルバイトをしている”みよ”さんという日本人留学生(トリブバン大学ネパール語学科在籍)が、ルピーをドルにやみで両替えしてくれる店を紹介してあげようといってくれた。その上、親切にも一緒についてきてくれる。その店はダルバールマルグを南西へ少し入ったところのアサン地区にある”よろずや”という店だった。そこの主人は日本語が上手で、その店は日本人のたまり場になっているらしい。主人は親切にも、銀行レートでドルに両替えしてくれた。好意に感謝。正規のルートではルピーの両替えは出来ないから。

 御礼に彼女を昼食に誘い、ネパールの状況についていろいろ話を聞くことができた。ネパールの子供たちは小さいうちは学校に行っていても、大きくなるにつれて一家の働き手になって、行けなくなってしまうとか、ネパール人のけんかでは、足で蹴るというのは反則で絶対やらない、大声で言い負かした方が勝ちになるとか、ネパール経済はインドに支配されているとか、ネパールでアルバイトしていても収入はわずかだとか。 彼女の薦めで、空港近くのパシュパティナート寺院というヒンズー教のお寺へ行くことにする。タクシーは彼女がひろってくれた。それはメータータクシーで、料金は何と55ルピー。最初に空港についた時、市内まで4ドル(240ルピー)だったのと比べるとひどい差だ。現地人と外国人の価格差はこんなにもある。

ヒンヅー寺院.JPG (29689 バイト) ヒンズー寺院の玄関。

 このお寺では、死者を焼いてその灰を川に流している。ここではさすがに観光客への呼び込みは少ない。高台にあるベンチに腰かけて、そのけむりを約2時間も見ていた。ピーナッツ売りのおじさんと猿だけが通り過ぎる静かな空間だった。

1/7(水)

 飛行機はカトマンズを夜の12:00に出て、順調に飛行し、途中上海に立ち寄り、定刻の午前11:20に関空に着いた。夜行便は疲れる。 長い、変化に富んだ旅行もこれで終了。ネパールでエネルギーをいっぱい吸収することが出来た。

ホームページ TOPへ

 

 

inserted by FC2 system