登山記録(過去に登った山のリスト)

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前穂高岳
焼岳
槍ヶ岳
双六岳
燕岳
大天井岳
鹿島槍ヶ岳
五竜岳
白馬岳
白馬鑓ヶ岳

薬師岳
雲の平 
雲の平.JPG (25286 バイト) 1985年8月、はるか向こうに雲の平小屋が見える
立山

乗鞍岳

北岳
聖岳

尾瀬ヶ原(燧ヶ岳・至仏山)
飯豊山
八ヶ岳(赤岳・硫黄岳)

武奈ヶ岳
京都北山(桟敷岳他いろいろ)
愛宕山
由良川源流
大台ケ原山
大山
三瓶山
氷ノ山
大江山
烏ヶ岳と鬼ヶ城
青葉山
由良ヶ岳
長老山
頭巾山
多紀連山

オーストリア・アルプス(チロル)
スイス・アルプス
カナダ・ロッキー山脈
ネパール・アンナプルナ(トレッキング)

山登りのスタイル

私が登山に興味を持つようになったのは、小学高学年の時からです。福知山市内から見える最も高い三岳山の麓まで自転車で行き、そこから道を通らず雑木林の中を直登しました。それほど険しい山でもなかったし、簡単に頂上に立てました。この時、決められた道でなくて自由に登るのがこんなに楽しいものか、と感動しました。道をはずせば全然違った世界が見えるのです。それから面白くなって、市内から見える主な山はだいたい登ってしまいました。
社会人になって、北アルプス方面にもいくようになりましたが、最近はほとんどテント泊です。高い料金を払ったあげく山小屋の混雑を体験するだけなんてばかげています。ひどい時は1晩中寝返りをうてなかったこともありました。それに、最近の山小屋には不信感をもっています。雨でずぶぬれになって飛びこんでも、自炊場の片隅で火も使わせてもらえない。入るのさえ断られた小屋もありました(最近の例では1997年夏の大天井荘、常念小屋がそうだった)。金を出さないものにはサービスしないということです。北アルプスでは今や避難所としての役割は放棄して、ただの山の旅館になりさがってしまっていると感じます。それなら多少荷物が重くても、自分の空間を確保した方がはるかに自由で優雅な生活ができます。そのために山に行っているのですから。ただ、最近テントが雨漏りするようになってきて・・・雨だけはこまりものです。
(もちろん、混み合わないときの山小屋には、いいところもあります。例えば11月、閉鎖直前の尾瀬の小屋はよかった。)

<記録>
由良川源流(95年10月28、29日)

 由良川源流には過去数回訪れている。最奥の長治谷小屋までさかのぼったのは2回。一回は20数年前の学生の時、もう一回は前任高の綾部高校に勤めていた時(1995年秋)だった。当時地学部の顧問をしていた私と田中先生(彼は南米アンデスの氷河でクレバスに落ちて一週間後に奇跡的に救出されたという山男、通称ヒゲさん、またはヒゲの宗さん、現在は府南部の高校に勤務)で計画し、シュラフとザックをかきあつめ、10月末の第4土曜と日曜日を利用して出発した。生徒は9名参加。
  この時はホント、ヤバかった。遭難というほどではないが、家へ帰りつくのが夜の9時すぎと遅くなってしまった。
 夕方暗くなって、私は電話ボックスを探して、必死で林道を駆け下りた。6時過ぎに何とかたどり着いて、生徒の家に電話してほっと安心したのを思い出す。それから、京大芦生演習林の教授の官舎に行き、頼み込んで林道ゲートの鍵を借り、ゲートをあけて車で生徒を迎えに走った。その教授には「こまるんですねえ、ゆとりを持った計画で山に入ってもらわないと。」といやみを言われた。生徒の体力を過大評価してはいけないというのが今回の教訓だった。それと、携帯電話を持っていくこと。
 秘境と呼ばれる芦生原生林の奥は20数年前とそれほで変ってなかった。また、カヅラ小屋が昔のままだったのには驚いた(注:ただし、この小屋はテント、シュラフがないと泊まれません、すでに人が入っていれば河原でテントをはらなくてはなりませんから)。

 この山行の様子はクラブの機関紙「ACHERNAR」にくわしく報告されている。書いたのは当時の部長である塩見さん。以下に引用する。

由良川源流紀行(95年度綾部高校地学部文集より)

序章 〜秘境・芦生(あしゅう)へ出発〜

 1995年10月28日(土)AM11:30。9名の無謀なチャレンジャーが綾高に集まった。案の定、約1名遅刻者がいた(誰かなあ ラーメンを食べていて遅れたのは)。それぞれでっかいザックに食料やシュラフをつめこんで いざ出発!車で走ること2時間、宗さんのスペシャルハードな運転に某1年男子がいきなりダウンするというハプニングが起こった。さらに芦生入口の駐車場でカメムシが大発生!何やら不吉な予感がただよう中、いよいよ私達はサバイバルワールド・芦生へ足を踏み入れた。

第1章 〜カヅラ小屋にて〜

  曇り空の下、芦生森林鉄道に沿って、あやしい一行はゆく。初めはみんな足取りも軽くすれ違う人とさわやかなあいさつを交わしていた。そのうちだんだん天気が怪しくなってきた。歩くこと延々2時間、ようやく今日のお宿”カヅラ小屋”に到着した。
 一見ポロそうだが、パス(ごえもん風呂)、WC(ボッ*ン)、キッチン(薪使用)完備で風通しもよく(窓なし)快適なロッジだった。そばには美しい川が流れ小鳥がさえずっていた。男子は川で魚釣りを、女子は夕食の準備に取りかかった。陽くんが異様に張り切っていたが釣ってきたのは魚ではなく怪しげな獣の骨だった(生物室に置いてあるらしい。正体不明)。そんなこんなで日が暮れてランチタイムになった。メニューは地学部お約束のカレー(レトルト)、川の水で炊いたご飯、シーチキンサラダ、焼肉(なんとジンギスカン!)でした。ちなみに材料はすべて井上先生がおなじみのジャパンで購入しました。結構おいしかった。but先生たちだけビ*ルを飲んでいた。私らは川の水。またお腹を鍛えられた。
 夕食後、川べりで火を囲んで和んでいると、突然草むらからガサガサという音が聞こえてきた。熊か?イノシシ?地学部の運命やいかに?暗闇から現れたのは焚き木を抱え草だらけになった宗さんだった・・・。ひと安心したところで、一同小屋の中のテントで床につく。しかし一部では暴露大会が繰り広げられていたらしい
 そして芦生の夜は更けていく。

第2章 〜芦生の朝〜

 10月29日(日)早朝5時、雨音で目を覚ます。吹き抜けの窓から容赦なく雨風が吹き込んですごく寒かった。まゆみchanは上着を6〜7枚も着込んでいるにもかかわらず寒がっていた。とりあえず餅入りインスタントみそ汁で腹ごしらえをして(後でかなりもたれた)雨が止むのを待った。しかしいっこうにやまないので、急きょ緊急会議が開かれた。「とっとと引きかえそう」派と「ここまできたらイジでも行く」派に分かれたが、「ここまで・・・」派が案を強行採決して先へ進むことになった。この選択がその後の地学部の運命を変えるとは、この時は夢にも思わなかった。

第三章 〜未知なる世界へ〜

 雨が上がった。でも道はドロドロ&ぬかるみだらけ。最悪のコンディションで一行は七瀬を目指して出発した。昨日と同じようにトロッコ道に沿って40分ほど歩くと、途中でそのトロッコ道がなくなってしまった。みんなちょっと不安になったが、その後すぐに七瀬に到着。この時点で「芦生なんてちょろいちょろい」と思っていたおばかもいた。しかしここまではあくまで序の口。ここからが本当の地獄の始まりだった。
 七瀬を過ぎて、道なき道を進むと目の前に腐った橋が現れた。何とか全員わたりきって安心したのもつかの間、今度は川に行く手を阻まれた。先頭集団の男子3人は無謀にも石の上を渡ろうと試みたが案の定失敗。続くゆかりちゃん なかちゃんもアウト。学習したまゆみちゃんと部長はちゃっかり靴を脱いで渡ったのでした。よかったよかった(でもみんなに白い目で見られた)。左岸伝いに進んでいくと、だんだん道が細くなってきてとうとうなくなってしまった。ここで新たな事実が発覚。なんと井上先生も宗さんも地図を忘れていた! あとはもう本能で行くしかない。井上隊長は田中副隊長に命じて道をさがさせた。田中副隊長はガケをよじ登って道を探したがそれらしきものはなかった。万事きゅうす・・・。そこで隊は仕方なくイノシシのようにガケをつたい下りた。すると今度は新たなガケが立ちふさがった。井上先生の「道まちがえたかな」の一言にみんな真っ青になった。でもよく見るとガケに鎖とロープが備え付けられていた。人の通った跡を見つけて全員安堵する。

 ここまでくるとみんな自然に帰って険しいがけもなんなく登り、野生のカンで突き進んだ。午前11時ごろ川岸で1回目の昼食をとる。ゆっくり味わう余裕もなく川の水でパンを流し込んで即出発。えらかった、、,12時ごろ2回目の昼食をとる。今度は鮭入り魚肉ソーセージがついていてちょっとリッチだった!でもまたすぐ出発してしばらく歩くと上り坂になった。みんな疲れてきて無言でひたすらはい登る。そこでハプニングが!1番後ろを歩いていたまゆみちゃんが足を踏み外してすべり落ちていく・・・。間一髪のところで宗さんがスーパーマンのように助けてくれて無事だった。このへんからはあまり記憶が定かでないのであらかじめご了承ください。確か丸太や橋etc障害物に阻まれながら山道を登ったり下ったりしていたと思う。井上先生に「あとどれくらい?」と聞くと、「もうすぐもうすぐ林道に出たらすぐや」というから張り切って進んだのに、1時間たっても2時間たっても林道に出ない。それからは林道という言葉が全員の頭の中を支配した。意識がもうろうとしてきてとにかく足だけ動かしていた。そんな中で井上先生と宗さんだけは元気だった。恐るべし山男コンビ。みんなが遭難を覚悟したころ、天国から天使の声が・・・じゃなくて車の音が聞こえてきた。夢に見た林道がついに目の前に姿を現した! 5時前だった。

第四章 〜魔の道 林道〜

 さああと一息だとお互い励まし合う。しかしここでTくんが「僕はもうだめです。あとのことはたのみます・・・。」と言い残して力尽きた。仕方なく何組みかに分かれて出発した。あたりが薄暗くなってきて、みんな頭にヘッドランプをセットする。先生ペアは容赦なく先へ進んでいき、とうとう見えなくなった。置いていかれた私たちも必死で歩く。誰だー、学校到着4時半なんて言ったのはー!時計はもうすでに6時をまわっている。あたりはもう真っ暗。しばらく行くと道が二手に分かれていた。そこへグラサンをかけた天使が現れて道を教えてくれた。宗さん感謝!ある時は教師、ある時はスーパーマン、またある時は天使。果たしてその正体は・・・?謎である。私たちはしゃべりまくるちひろ・まゆみペアを先頭に、黙々と歩き続ける陽君、SMAPの「頑張りましょう」を歌って気をまぎらすゆかり・あゆみペア、死にかけている高倉・河村先輩ペアという順で山をさまよった。

終章 〜奇跡の生還〜

 午後7時ごろ、ちひろ・まゆみペアがついに出口ゲートにたどりつく。しかし目の前には相変わらず山道が続く・・・。それでもやはりしゃべり続ける2人。体は疲れ切っていたが口だけはやたらと元気だった。でもさすがに力尽きて野宿を覚悟した。そこへ天からの迎えが・・・。井上先生が車で登場。but後ろの人を先に迎えに行くと言って荷物だけ乗せて走り去った。あの後急に体が軽くなったために私は生まれて初めて歩きながら酔った。千鳥足状態。その後何とか、全員無事(?)元の駐車場に到着した。延々約30時間の超過酷な旅だった。その後再びカメムシの襲撃を受け、逃げるように芦生を後にした。帰る途中車の中でまだ山中をさまよっている悪夢を見たのは私だけだろうか・・・。午後9時学校到着。翌日根性で学校に来て1日授業を受けたゆかりちゃん、陽くん、君たちは偉い。その後3日間は歩くのもかなりつらかった。みんな本当にお疲れさまでした。この冒険は伝説としてのちのち地学部で語り継がれていくでしょう。                                                                                  〜Fin〜

おまけ

 ちなみに今回の芦生での本当の目的は由良川源流到達と地質調査でした。一応川幅5メートルくらいのところまでは行ったけど、歩くのに必死で石まで見ている余裕はなかった。でもあちこちでチャートが見えた。調査以前にこの石はつるつる滑って怖かった。ということで、一応報告しておきます。


焼岳登山 その1 31/Jul/2000(月)〜1/Aug/2000(火)  
参考:フィールドガイド・日本の火山E「中部・近畿・中国の火山」(築地書館)→ http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN4-8067-1199-3.html 

信州大・三宅さんと及川輝樹さんの案内で、焼岳の巡検が企画され、参加した。(というか、こちらからお願いして企画してもらったというのが真相。)
前日(7/31)は、すばらしい混浴露天風呂のある白骨温泉を訪ねた。

index1.jpgca3.jpg (22071 バイト) 白骨温泉の露天風呂

その後、上高地に入り、上高地自然史研究会のご厚意で、明神にある「上高地養魚場」に泊めていただいた。
ここでは東京都立大、立正大、高知大、神戸大の地理や林学関係の教官や学生の方々が泊まり込みで、上高地の植生や水質、土石流などについて調査されていた。
その中に、信州大の学生や我々がもぐり込んだというわけだ。
当番の学生が作ってくれた夕食はカレー。うまかった。
冷たい湧き水に浸けられていた缶ビールをいただき、蚊にかまれながらも至福のひとときを過ごすことができた。

上高地夜.jpg (14031 バイト) 夕食前のひととき

ちゃんと布団もあり、ひとり一畳のスペースで安眠できた。
かなりの大人数の食事の準備、風呂なしなどの過酷な条件なのに、整然と行動する学生達に感動した。
酷暑の日本列島でも、ここは別天地。20℃以下。布団がないと寝られない。
星空を見ようと庭に出たが曇っていてよく見えず。

翌日は快晴。明神の梓川は輝いていた。

上高地養魚場玄関.jpg (19671 バイト) 養魚場小屋の前で

バスターミナルを出て、大正池へ、ここで焼岳を望む。9:10。頂上に小さな噴煙がみえる。
約2000年前に噴火した山頂の溶岩ドーム、山麓の火砕流堆積物とそれを削りこんだ谷地形がよく見える。
説明では、焼岳の地形は雲仙普賢岳とそっくりだということだ。

大正池と焼岳.jpg (22912 バイト) 大正池で焼岳を望む

大正池の下流をせき止めているダムの部分を越えて峠沢の手前で車を置き、登山道へ。
峠沢には土石流を防止する施設が設置してある。
これは、土石流の水を鉄の篩のすき間から下に落とすことによって、流動性をなくさせる仕組みだそうだ。

土石流阻止.jpg (21509 バイト) 土石流を止める装置

ここから登りはじめる。最初は樹林帯。
途中で火砕流堆積物の断面が見えた。
また、有名?な”ジェロニモ岩”も見えた。

ジェロニモ岩.jpg (15977 バイト) ジェロニモ岩

しばらくすると足下の登山道に地表部の断面の見えるところが現れた。これは最近に起きた水蒸気噴火の噴出物だそうだ。
間に挟まれる土壌の年代測定がされていて、かなり細かい噴火史が明らかになっている。

焼岳登山道の表面露頭.jpg (18050 バイト) 登山道表面の断面

急なはしごを登り、高度をかせぐ。

焼岳稜線で.jpg (28476 バイト) 稜線で 焼岳小屋前で.jpg (35315 バイト) 焼岳小屋前で

11:45、村営焼岳小屋に着く。
ここの缶ビール400円。1泊2食が7100円。

焼岳登山 その2

小屋の横を通り過ぎてしばらくいくと、また地表の断面が現れた。ここでも細かく年代測定がされていた。
及川氏によると、ここで、水蒸気噴火→ドーム→火砕流→ドームを吹き飛ばす爆発的噴火、という一連のサイクルが読みとれるという。

再び小屋に戻り、焼岳方面へ。展望台に着く。ここで昼食。13:00発。
1962年水蒸気噴火で吹き飛ばされた旧焼岳小屋の跡を見て、急な登りに。噴気が出ている。かなりな水蒸気を含んでいて高温だ。

焼岳頂上下の稜線.jpg (17491 バイト) 頂上の下の稜線

しばらくすると、溶岩が現れる。

溶岩の底.jpg (21048 バイト) 溶岩の下底

14:20頂上着。
ゆっくり露頭を見ながら歩いたのでかなりの時間がかかった。
付近には1907年火口の正賀池、1911年水蒸気爆発でできたインキョ穴が見える。

正賀池.jpg (13109 バイト) 正賀池 インキョ穴.jpg (23297 バイト) インキョ穴

14:45頂上発。
少し下って、噴気の出ているところへ。硫黄の黄色い結晶がいっぱい。相当熱い。

硫黄の噴気.jpg (12512 バイト) 硫黄の噴気

17:10元の駐車場着。帝国ホテルで他の人と合流。
帝国ホテルの中をのぞきに入ったK女史は、入り口にいたホテルマンにきつく叱られたそうだ。
ロビーは公共の場じゃないのか?

帝国ホテル前.jpg (24099 バイト) 帝国ホテルの前で、学生達

一同、怒りながら釜トンネルを出て松本へ帰った。この日の松本は暑かった。

浅間火山  03/Aug/2000(木)  
参考:フィールドガイド・日本の火山@「関東・甲信越の火山」(築地書館)→ http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN4-8067-1156-X.html

8/2(水)は松本から軽井沢への移動日。
国民宿舎「軽井沢高原荘」に2泊。一泊7800円と安いわりに施設は良い。
場所は塩沢というところで、周辺にはテニス場や美術館がいっぱい。

8/3(木)は上記フィールドガイドを見ながら、鬼押出し園方面に行ってみた。かみさんと一緒だったので、観察地点は以下の5つのみ。
あとは美術館めぐりなど。

@峰の茶屋:
ここでは天明噴火(1783年)の分厚い降下火砕流堆積物が見られた。

峰の茶屋露頭.jpg (26466 バイト) 天明噴火の火砕流堆積物

Aレストラン「ブルーベリー」駐車場:
ガイドブックでは黒豆河原駐車場となっているところ。未舗装ではなく現在は舗装され、きれいな駐車場になっている。
ここで、浅間火山の全景が見られるハズだったが、山頂付近が曇っていて見えず。鬼押し出し溶岩はよく見えた。

B上記駐車場近くの黒豆河原
駐車場のはずれに進入禁止の鎖がしてあったが、乗りこえて河原へ。
ここで、同じく天明噴火時の吾妻火砕流とその下の天仁降下軽石が見られる。

吾妻火砕流.jpg (25139 バイト) 吾妻火砕流、溶結している

C浅間火山博物館
なかなか立派な博物館だった。散策コースは溶岩堤防と溶岩内部の構造が観察できる。

D鬼押し出し園
ここは売店が立ち並ぶにぎやかなところだったが、火山博物館で歩き疲れたのですぐに出てきた。

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