マラソン記録集

大町マラソン(フル)
2012年大会    4:44:30

<大阪マラソン公式記録(フル)>
2011年大会     4:22:14 (ネット4:19:55)

<福知山マラソン公式記録(フル)>
第1回大会1991   4:13:21
第2回大会1992   3:40:50
第3回大会1993   3:42:52
第4回大会1994   3:51:11
第5回大会1995   3:47:14
第6回大会1996   3:36:30
第7回大会1997   3:33:40(フル自己新)
第8回大会1998   3:42:49
第9回大会1999   3:34:53
第10回大会2000 3:46:31
第11回大会2001 3:41:37
第12回大会2002 3:44:11
第13回大会2003 3:48:37
2004年大会は中止
第15回大会2005 3:45:25
第16回大会2006 3:49:54
第17回大会2007 3:59:46

<篠山マラソン公式記録(フル)>
第15回大会1995 3:48:11
第17回大会1997 4:07:14
第18回大会1998 3:57:09

<青梅マラソン(30km)>
第45回大会2011 2:49:45 (ネット2:47:54)

<丹波高原ロードレース(30km)>
1994年大会  2:34:40
1995年大会  2:44:31
1996年大会  2:34:04
1997年大会  2:24:32
1998年大会  2:33:17
1999年大会  2:29:46
2000年大会  2:36:23
2001年大会  2:33:39
2002年大会  2:38:14
2003年大会  2:44:35
2004年大会  2:45:08
2005年大会  2:32:16

<青垣もみじの里健康マラソン(30km)>
1994年大会  2:18:32(30km自己新)

<横田フロストバイトロードレース(ハーフ)>
2013年大会  1:50:12

<京都シティハーフマラソン>
1995年大会  1:42:54
1997年大会  1:41:38
1999年大会  1:43:12
2000年大会  1:42:49
2001年大会  1:46:58
2002年大会  1:45:10
2003年大会   1:43:33
2004年大会  1:46:38
2005年大会  1:40:22
2006年大会  1:45:00
2007年大会  1:48:44

<兵庫レディースマラソン(ハーフ・兵庫県西脇市)>
1994年大会  1:38:23(ハーフ自己新)
1996年大会  1:40:07
1998年大会  1:50:31
1999年大会  1:43:24

<兵庫神鍋高原マラソン(ハーフ)>
1996年大会  1:56:59
1997年大会  1:50:14
1999年大会  1:52:41
2001年大会  1:51:10
2002年大会  2:00:44

<生野銀山湖ロードレース大会(15km)ベストタイム>
1998年大会  1:07:22(15km自己新)

<10kmベストタイム>
@第6回全国健康福祉祭京都大会(京都府宮津市)
1994年     00:42:30(10km自己新)
A荒湯マラソン大会(兵庫県温泉町)
1997年     00:42:42
B但東シルクロードマラソン大会大会(兵庫県但東町)
1997年     00:43:50

第17回福知山マラソン(07年11月23日実施) 15回連続完走!

フルというのは、何回走っても想定通りにはいかないものだ。
たとえ、あと1km地点まで順調でも、それから先で何が起こるかわからない。
最悪は足の痙攣とか、肉離れなどで全く歩くこともできなくなる場合もあるわけで、だから先日の野口みずきさんも最後の100mまでガッツポーズを見せなかったわけだ。

練習が不足していたので、余力を残しながら走るということをたえず意識しながら走った。晴れてはいたが、風が冷たく走りにくかった。
折り返しも35km地点もまあまあ余裕があったのに、残り4kmで突然エネルギー切れに見舞われた。
順調に走り切れていたら3時間55分くらいだったと思われるが、歩いたのでどんどん時間が過ぎていった。
残り2kmで走り出したら今度は右の太ももが痛くなって、ひょっとして歩けなくなったらどうしようと考え、またゆっくり歩いた。
最後の300mくらいで時計を見たら4時間まであと2分。ああ神様、お助けを。
そこから必死で走った。
なんとか間に合って、ゴールタイムは3時間59分46秒だった。

練習はうそをつかない、というのはやっぱり真実だ。
走り込み不足がこういう結果を招いた。
最後はよれよれになったが、でも、15回連続サブフォーを達成でき、やったーという感じ。
応援に来てくれた、Oさん姉妹、Y&M先生、ありがとうございました。

第16回福知山マラソン(06年11月23日実施)
 15回連続完走!

今シーズン(8月末から今日まで)は走り込みが十分でなかった。8月は病気の治療で全く走れなかったし、今までなら毎日1時間走っていたのを、時には30分に短縮して疲労が残らないように心がけた。それにいつもは走る直前の30kmレースを走っていない。レースとして走ったのは11/5のハーフのみ。これでフルを走りきれるんだろうかという不安が大きかった。それで、慎重に走りはじめることにした。特に30kmまでは無理をしないで余力を残そうと考えた。記録を見ると10-20kmのペースを抑え気味に走っていたのが読み取れる。なお、時計は見ないで体と相談しながら走った。雨は降らなかったが、寒い北風(折り返しまでが向かい風)が吹き、走りにくかった。しかし、折り返し点でそれほど疲労感を感じなかったので、帰りは少しペースアップしてみた。いつもなら35km頃でガクッとくるのに今日はこなかった。帰りが追い風だったのが幸いしたようだ。魔の35kmをクリアしてからは、一歩ずつ一歩ずつと言い聞かせて焦らないように走った。ゴール手前300mで3時間50分を切れそうだったので全力疾走でゴールイン。この練習量で3時間40分台は上出来だ。思わず右手でガッツポーズが出ていた。これで福知山M連続完走の記録を伸ばすことができた。地元82位(完走340人中)。1568位(6445人中)。

途中のタイムは以下の通り。
10km  51'19"
20km 1h47'49"
30km 2h42'03"
40km 3h37'19"
ゴールタイム 3時間49分54秒。

1kmのペースは、ほぼ5分半で一定していた。最後までこのペースで走り切れた(一度も歩かず)のが収穫だった。
00-10km 5'08"
10-20km 5'39"
20-30km 5'25"
30-40km 5'32"
Totalでは 5'27"

西高陸上部・長距離女子の皆さんとは何度かトラックで一緒に走ることがき、それがいい練習になった。感謝しています、今後ともよろしく。

第15回福知山マラソン(05年11月23日実施) 14回連続完走!

昨年はレース直前の、たしか11月5,6日頃、台風被害を理由に中止が発表された。
それまで必死になってトレーニングしてきたのに、急にポッカリと目の前から目標が消え去り、何か物足りない気持ちだけが心の中に残ってしまった。日本がモスクワオリンピックをボイコットした時の瀬古利彦さんのくやしい気持ちがよくわかる。
そのくやしさ・物足りなさを紛らすために、冬場も意欲的に走り込みを継続した。とういうより、レースの疲労がなかったから走れたのかもしれないが。ともかく連日走りまくった。1-2月にこれほど走ったことは今までになかった。その結果、3月の京都シティハーフでは、京都のコース自己新を出すことができた。その後も順調に走り込み、8月20日過ぎには例年よりも引き締まった体でフル3ヶ月前の練習に入ることができた。
今年の特徴は、ほぼ1年間走り込みを継続してフルを迎えることができたという点にあるだろう。
11月の丹波高原ロードレース30kmも2時間32分といういいタイムで走りきり、これはひょっとしたら久しぶりに3時間30分台を狙えるかなと欲を出したのが間違いのもとだった。37kmで体が動かなくなり、歩いたり走ったりのくり返しで何とかゴールにたどり着いた。フルマラソンでは、ちょっとした気持ち(はやる気持ち)と体のずれがじわじわと蓄積されて、35kmすぎの突然のエネルギー切れをひき起こすことがある。そんなことは、これまでの経験で十分わかっていたはずなのに、同じ過ちをくり返してしまった。
しかし、別に後悔はしていない。ある程度のリスクをおかさなければ記録に挑戦なんてできないんだから。

スタートロス:52秒
10km:50:40
20km:1:41:22
30km:2:32:57
40km:3:30:45
ゴール:3:45:25
総合順位1519位、地元70位(完走371人中)だった。

この1年間の練習にはもう一つ重要な要素があった。
それは西高陸上部/長距離の生徒たち(男子は速すぎてついて行けないので、女子の)から刺激や励ましをもらいながら走り込みができたという点だ。トラックでの練習だけでなく、真壁峠や愛宕山などへも何度か一緒に走りに行った。一人ではしんどくて妥協するところを、集団だと楽に走れる。彼女たちにはとても感謝している。

2004年のマラソンは台風23号の被害のため中止

第13回福知山マラソン(03年11月23日実施) 13回連続完走 !

朝から晴れ間が見え、天気予報でも移動性高気圧が覆うと言ってたので、暑くなると予想したが、全然気温が上がらず寒かった。
しかし、これは高層天気図の等温線に注目していれば予測できたことだった。

例年通り今年も8月20日頃から練習を開始した。
ジョグだけは距離をこなそうと走り込んだが、歳のせいか、以前のように1週間に6日間連続で毎日10km走るというような練習ができなくなってしまった。疲労が蓄積して体がいうことをきかない。
それで、身体と相談しながら、3日走って1日休むというような練習にしてみたら何とか継続できた。しかし、明らかに月間走行距離は以前より落ちている。だいたい200km/月くらい。
それに、以前のように記録にこだわりがなくなってきた。

ではいったい何のために走るのか?
Tシャツの背中に「我走る、故に我あり」と書き込んでいるランナーがいた。なるほどなあ。
私はそれほどたいそうな考えは持っていない。
私にとって、走ることは”生活の一部”。走ることによって、体中の血液の流れが良くなるとすると、
@それが脳で起これば、創造的な発想につながるかもしれない。
Aトレーニング効果で筋肉中にグリコーゲンが多く蓄積されれば、野外調査で歩き回る時に威力を発揮するだろう。
そういうふうに考えると、走るのはやめられない。
フルを走らなくてもいいのではないかという意見もあるかもしれないが、1年に1度くらいはこういうハードな刺激も体にいいだろう。
というわけで、来年の14回大会も走るぞ。

スタートロス 約2分
10km  53:48(51:48/10km)     5:11秒/km
20km  1:46:56(53:08/10km)    5:18秒/km
30km  2:40:03(53:07/10km)    5:18秒/km 
40km  3:34:59 (54:56/10km)    5:29秒/km
Goal   3:48:37(13:38/2.195km)  6:12秒/km

今年記録が悪かったのは、走り込み総量が不足したこと以外に、8月と9月にレースに出なかったこともあげられる。神鍋マラソン(ハーフ)と香住マラソン(10km)をキャンセルした。適度に体にきつい刺激を入れないと、5分/kmペースでは走れないということ。
でも、サル関係のシンポジウムとレースのどちらを選ぶかとなると、サルを選ぶに決まってます。私にとってマラソンの位置づけとはそういうもの。

第12回福知山マラソン(02年11月23日実施) 12回連続完走!

前半は曇り、後半は晴れ。気温が上がらず風もそれほど吹かず、天候としては最高の条件となった。
10月末に右肩痛が再発して満足に走り込めず、予想タイムを3時間50分あたりに設定してスタートした。
しかし、意外にも結果は3時間44分11秒だった。まあ予想外によく走れたということになるだろう。
今年は、この3ヶ月間に、10kmレース2回、ハーフ2回、30km1回走り、月間走行距離は平均200kmくらいだった。
走れるならいくらでも走りたいという意欲はあるのだが、身体がいうことを聞いてくれない(右肩痛や蓄積疲労などで)という問題が歳とともに大きくなってきた。でもまあ、それは高橋尚子さんでも同じことなんでしょう。走りすぎれば身体が故障するんだから。これって一種の拒否反応(身体の)です。身体と相談しながらいかにいい練習ができるか、それでレースの結果が決まる。あんまり無理をしてもしょうがない。

今年のマラソンでは初めて死者が出た。それも二人も。どちらも50代後半の男の方で、死因は心筋梗塞だった。
無理は禁物。楽しく走らないと。健康を維持するために走ってるんだから。
ともかく12年連続完走が達成できたので、ホッとしたというのが今の正直な気持ちだ。

スタートロス 約1分半
10km  51:59(50:29/10km)     5:03秒/km
20km  1:43:31(51:32/10km)    5:09秒/km
30km  2:35:13(51:42/10km)    5:10秒/km ここまで予想外に快調に走れた
40km  3:29:34 (54:21/10km)    5:26秒/km
Goal   3:44:11(14:37/2.195km)  6:40秒/km  最後はバテバテだった

第11回福知山マラソン(01年11月23日実施) 11回連続完走!

このマラソンはもう年中行事になっている。走り込みも特に変わったことはしていない。
ただ、変わったことは、老眼が進行して眼鏡が合わなくなったので眼鏡をはずしたこと。
そうすると、走り込んでも肩が凝らなくなった(昨年から眼鏡をはずしておいたらと後悔している)。

当日は朝から霧が深く、スタート後から晴れてきて快晴。ちょっと暑かった。でも、サポーターの方々にとっては良かっただろう。
スピード練習をやってないので、km5分のペースがきつい。だいたいkm5分10秒くらいで走りだす。
12km地点で、田尾安志さん(招待選手)に追いつく。単車によるカメラ撮影隊が側についているのですぐわかった。
後ろから見た田尾さんの足の筋肉は、日焼けで黒光りしていて素晴らしい。よく鍛えられている。ヘッドホンで音楽を聴きながら走っておられた。
思い切って話しかけてみる。「今日の目標タイムは何分ですか?」と。彼はヘッドホンをはずして答えてくれた。「4時間10分です。でも、後半どうなるかわからないので、・・・。」 3時間半ならついていこうと思ったのだが、これではペースが合わないので、「頑張ってください!」と声をかけて、前に行った。彼はさわやかな笑顔を返してくれた。
今回のレースでは、田尾さんとお出あいすることが大きな目標だったので、これで気合いがはいって、その後はkm5分ちょっと切るペースで行けた。
彼は1954年生れ、私は1953年生れ、ちょうど1歳違いの同年代。今年のサロマ100kmマラソンを完走したばかりのマラソン愛好家なので、親近感を感じている。

さて、順調に折り返して、後半はあまり給水も取らず32kmまで5分チョイのペース。みなさん疲れ気味。暑さがこたえているようだ。私はまずまず快調に飛ばしていく。
のこり10km。いつもの10km走を思い浮かべる。
何とか1kmずつ距離が減っていって、あと3kmとなったところで、「ああこれで完走できる。」とフッと気が抜けた瞬間、足が動かなくなった。
こうなるともうダメ。最後1kmの坂もよれよれ。何分かかっただろう。8分くらいかかったかも。
ゴールの時計を見ると、3時間41分37秒だった。40分を切りたかったが、残念(ネットタイムでは切ってるだろうが)。

ラップタイム:
スタートロス 約2分
10km  53:25(約51:25/10km) 5:09秒/km
20km  1:44:19(50:54/10km)  5:05秒/km
30km  2:35:56(51:37/10km)  5:10秒/km
Goal   3:41:37(65:41/10km)  5:23秒/km

地元完走者の中で、69位/438人。昨年68位、一昨年67位。少しずつ順位を下げている。
完走者438人とは、福知山のマラソン人口減り気味?

ゴール後しばらくしてから、完走Tシャツとマジック(植物園の受付の方にお借りした)を持ってゴール地点へ。西舞鶴高校卒業生の安久くんと同僚のM先生といっしょに。
ちょうど田尾さんがゴールした直後でインタビューを受けておられたが、安久くんが大きな声で「田尾さん!サインお願いします。」と声をかけると、すぐに近づいてきてくれて、サインしてもらった。大感激!
彼の話では、アキレス腱を痛めていて、無理しないで走ったということだった。
それで、4時間13分だから、完調ならもっと速いだろう。
完走できた満足感と田尾さんとお話しできた満足感を胸に秘めて、秋晴れの三段池を後にした。

tao.jpg (17474 バイト) サインしてくれる田尾安志さん taosign.jpg (18231 バイト) 田尾さんのサイン

<2001年5月、兵庫県市島町マラソンで中山竹通さんと>

newpag1.jpga.jpg (21230 バイト) 上半身裸でワイルドな中山さんと

2001京都シティハーフマラソン(01年3月11日実施)

このところ3年連続で出場している。
昔は、5000人の出場者におよそ3倍の申し込みがあって、抽選に当たって出ることだけでも大変だったのに。

最近マラソン人口が減っているようだ。不況のせいかも。
出場代金3000円〜4000円というのも、積もればバカにならない金額だから。

マラソン前日はルビノ堀川に泊まって、朝、市バスで会場へ。小雪の舞う寒い朝だった。
朝起きたときからのどが痛く、風邪気味で体調最悪。
出るのをやめようかとも思ったが、雰囲気だけでも味わおうとスタートラインへ。
とりあえず、無理のないスピードで走りだす。キロ5分ちょい。しかしすごい人で、これでも人をかき分けかき分け走らなくてはならない。
道路の半分しか走れないからだ。

日本の都市マラソンは行政も市民も理解がなさすぎ。制限時間(2時間ちょうど)も厳しすぎ。
もう少しゆとりのあるマラソン大会にならないものか。ニューヨークシティマラソンのように。
途中、小雪が舞い、のども変な感じで、ぜんぜん調子が出ない、最悪状態。
後半は完走だけを目標に、走った。
タイム1時間46分。危うく落後するところだった。

第10回福知山マラソン(00年11月23日実施) 10回連続完走達成!

今年は8月20日から走り込み開始。1時間ジョグの繰り返し。1週間に6日で60km走るのが目標。
10月中旬までは順調に走り込めたが、ついに持病の右肩痛が再発。痛くて腕振りが満足にできない状態に陥った。
それで、走り込みを極端に減らして様子を見たら、1週間で何とか回復した。

しかし、今度は10/29(日)にアクシデント発生。屋根を葺き替え中でまわりが足場だらけの家の玄関から、足場の下を低い姿勢で勝手口の方へ向かった時、頭にガーンと衝撃。足場にちょっと出っぱりが下がっていた。かなりの大量出血で、病院で麻酔を注射されて傷口を縫われた。3日間の走り禁止。おまけに、おなかの具合が悪くなって喉も痛くなり、風邪をひいた。10月末は最悪状態。一時はマラソンの出場が危ぶまれた。

11月3日の丹波マラソンは病み上がりで不安だったが、何とか2時間36分で完走でき、ちょっと安心する。
その後レースまで、こわごわ走り込んだため、体を追い込むというきつい練習ができなかった。ともかく体調万全で出場できることだけを考えて調整した。
この3ヶ月の走り込み期に、レースは10kmと15kmをそれぞれ1度走ったのみ。明らかにスピード練習不足。また、去年より体重1kg増で、結局減量できなかった。不安いっぱいで当日を迎えた。

当日の気象状況(10時30分現在)は天候晴れ 気温13度 風速0.5m 湿度66%。例年ならスタート前寒いのでビニール袋をかぶるが、全然寒くない。ポカポカと気持ちいい。スタートしたが、何となくからだが重く、キロ5分10秒ペースの押さえ気味で折り返しまで。

52分44秒(10km)
1時間44秒(20km)
2時間36分(30km)
3時間46分31秒(ゴール、1932位、地元68位)

最後の5kmはエネルギー切れでフラフラ。歩かなかったのが不思議なくらい。よたよたとやっとジョグを続けているといった感じ。
沿道からの「頑張って〜」の声にも、「ごめん、もう頑張れないよ〜」と心の中でつぶやいていた。身も心もぼろぼろというのはこういうことを言うのか。
記録がかなりダウンしたのに順位はそれほど下がっていない。やはり、気温が高かったのが影響したようだ。厳しいレースだったと言える。 

この10年を振り返って、息長く走り続けるためには、故障をしないことが最も肝心だと感じた(あたりまえか)。そのためにはアスファルト路上では走り込まないで土か芝生で走ること、スピード練習をやりすぎないこと、が大切。次に、風邪をひいたり下痢をしたりしないよう規則正しい生活に心がけること。フルマラソンの自己記録は3時間33分で、333とゴロがいいので気に入っていて、記録更新の意欲はそれほど強くない。ちなみにこのタイムはそのまんま東さんと同タイムだ。
これからは20回連続完走をめざして、健康に気をつけながら息長く走り続けることを目標に置いて、しかしチャンスがあれば3時間半を切れるような練習だけは続けていきたいと考えている。

第9回福知山マラソン(99年11月23日実施)

8月23日から走り込み開始。少しずつ距離を増やしていき、8月末には1時間走が楽にできるようになった。いつものことながら、すぐには体ができてこない。10kmの記録は以下のように少しずつ向上した。走り込みの成果は3ヶ月後に現れるということだろう。

<10kmレースの結果>
45分03秒(9/25)香住町潮風マラソン
45分27秒(10/2)但東町シルクロードマラソン
44分21秒(10/10)小浜町ねんりんピック
43分17秒(11/13)三和町三春峠マラソン

<当日(11/23)の様子>
気象状況は曇りのち雨、少し肌寒いが風はほとんどなし。出走者は8862人で、うち7672人完走。
私の途中記録は以下のとおり。

スタート地点まで、約1分かかる
49分47秒(10km)
1時間40分10秒(20km)
2時間30分04秒(30km)
2時間55分54秒(35km)
3時間34分53秒(ゴール、1810位、地元800人中67位!、目標80位以内達成)

ラップをみると31kmまではキロ5分できっちり行けたが、その後34kmまでキロ5分10秒に落ち、さらにゴールまでキロ5分20秒に落ちた。途中、トイレに一回。一応歩かずに完走はできた。今年の大会直前のニューヨークシティマラソンで、郷ひろみが3時間44分で走っていたので、みんなの目標が「ひろみに負けるな!」というものだった。
郷ひろみのインタビュー記事がランナーズに載っていたが、練習でアスファルト路上を走りすぎて、ちょうけいじん帯炎で膝が痛く満足に走れなかったようだ。私も経験がある。歳をとったら、土か芝生か体育館の板の上かルームランナーで走り込まないとたいていの人は故障するのです。しない人もいますが、用心のために気をつけましょう。

この4年間の記録が、だいたい3時間33分から40分程度に落ち着いてきた。キロ5分ちょいのペース。
このことはそれなりに意味があると思う。練習メニューはほぼ同じで、1時間ジョグの繰り返しとその間に数回のレースを組み込み、11/3の丹波マラソン30kmで仕上げるというもの。

そこでこれからの課題として考えられることは、記録を伸ばすことに集中するのか、今の状態を長続きさせるのかということだろう。
普通に考えれば、練習方法を変えて練習量・質ともにアップし自己新をねらうのだろうが、趣味として走っているマラソンにそこまで打ち込むべきかどうか迷ってしまう。つまり、記録じゃなくて、走ることそのものをもっと楽しんだ方がいいんじゃないか、この歳になって苦しいトレーニングする意義がどこにあるのか?ということ。
今の練習は、べつに苦痛でもなんでもなく生活の一部になっている。というか、苦痛にならないようなトレーニングを心がけている。
練習日誌(距離記録)をつけるのは何年か前にやめてしまった。何故かというと月間300kmとかいう距離を追い始めると、走るのが義務になってきて、そのことに自分が拘束されてしまうことに気がついたから。だから、正確には今どれくらい走っているのか分からない。その時の気分で1時間走るので、疲れているときはものすごいゆっくりペースで7km程度のときもあるだろう。

ランナーズを読んでいて、新しくできそうかなという練習方法は、2時間走を一日おきにやる、というものだ。走った翌日休むというのは精神的に楽なんじゃないか、それにスタミナもつきそう。

ともあれ、99年の福知山マラソンも無事終了。故障なくシーズンが終われたのがなにより。体重65kg、脂肪率18.5(12/5現在)
来年は10回連続完走という”偉大な”?記録のかかった大切なシーズンになる。
来年もやるぞ!

99京都シティハーフマラソン99年314日)

314日(日)開催された9京都シティハーフマラソンは今年で6回目。定員5000人に例年15000人の応募者があって抽選で出場が決まる。当選確率が低いので、出場できるだけでうれしくなるマラソンだ。ただし制限時間2時間というのは初心者にとってはつらい時間設定になる。1Km6分ペースでは間に合わない。コースは最初の頃、京都国際会館前がスタートゴールだったが、最近は平安神宮前に変更になった。このコースだと、前半登り後半下りになる。私はこれまで、第2、4,6回大会に出場した。きっちり2年に一回の当選確率になっている。

このマラソンのいいところは世界の一流ランナーが走るということ、沿道の声援が大きく励まされること、高校駅伝のコースと一部重なるので張合いがあること。まあ、京都の町を走るというだけでうれしくなる。気候的にもいい条件で走りやすい。

さて、今年のマラソンは雨の天気予報がはずれて快晴になり、暑さがこたえた。最初からとばしたが、自分の感覚と違ってラップタイムが悪く、途中で精神的にバテ気味になってしまった。折り返してからやっと調子が出てきて、これなら1時間40分を切れるかもと期待して頑張ったのに、結果は1時間43分で、ナンカ納得がいかないレースだった。歳のせいかも。練習量の少なさということもあるだろう。
なお、男子の部は1位タヌイ、2位早田。

第8回福知山マラソン(98年11月23日実施)
                          福知山マラソンの特徴

福知山マラソンは毎年11月23日に実施されます。例年、気候はまずまず(今まで、雨が降ったのは一回だけで、それもしぐれ程度)、コースも平坦なので人気のある大会です。給水も5kmおきにあり、途中バナナの給食もあります。距離表示は1kmおき。定員は1万人。

第1回福知山マラソン.JPG (14437 バイト)   第一回大会招待選手”高石ともや”、彼はスタート前とゴール後、ずっと歌で励ましてくれた

近畿北部のフルマラソンでは兵庫県の篠山マラソン(3月の最初の日曜日)が有名ですが、98年の大会は朝からの激しい雨で、スタートで並んでいる間にずぶぬれになり、寒さも加わってきびしいレースになりました。
寒い時期にランパン、Tシャツで1時間近く立ちっぱなし、というのもつらいものです。スタート直前に並べばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、ここのコースはスタート直後の道幅が狭く、混雑するため後ろに並べば10分はロスしてしまいます。さらに並ぶのは無差別で早いもの順。それに、途中の制限時間が厳しいので、だいたい、スタート2時間前から行列ができます。コースの途中にはけっこう長い峠もあります。

それに比較すると福知山ははるかに走りやすいコースです。初マラソンには最適の大会でしょう。
私は3時間42分でゴール。これは2009位でした(完走した7353人中)。

3時間40分で走るトレーニング法

福知山マラソンは一回目から参加し、初回に4時間13分だった以外は、7回連続、3時間30分〜50分(ベストは97年の3時間33分)で完走しています。それで、そのレベルの走り方には自信があるので、私のトレーニング法を紹介します。もっと上を目指す人には参考になりませんので、悪しからず。
私の場合、トレーニングは例年、8月末からはじめます。その頃は暑いので、日陰を選び、夕方に一時間走をゆっくりしたペース(キロ6分〜6分半)で行います。昔、走り始めた頃によくひざが痛くなったので、今ではアスファルトの路上はほとんど走りません。土の上を走ります(本当は芝生が理想的でしょうが、日本には良い芝生のグランドは皆無)。それで、近くの公園か学校の土のグランドをもっぱら使用します。同じところをぐるぐる回るだけの単調な練習なので、走っている時は極力考え事をするようにしています。仕事のこと、晩飯は何がいいだろうか、こんどどこへ遊びに行こうかなどなど、気をまぎらしながら1時間走ります。最初の頃はこの練習が苦痛でした。だいたい30分もするといやになってきます。これを気持ちで乗り越えられるようになって、スタミナがついてきました。マラソンは長い距離なので、それなりの距離を走りこんでおかないと最後まで持ちません。このゆっくりしたペースというのも大切です。スピード走を取り入れると必ず週末に疲れが蓄積して、走る意欲がわかなくなってくるのです。また、疲れから体調をくずして風邪をひいたりします。わアーっとがんばってプッツンしたのでは効果がありません。それより、ゆっくりでも毎日トレーニングできたほうがマラソンにはいいようです。このトレーニング法はLSD(ロング・スロウ・ディスタンス)といってマラソンのトップランナーも取り入れています。

マラソンの楽しみ

マラソン(フルにかぎらずランニング一般)を走って何がおもしろいのかと、以前は私も疑問をもっていましたが、走ってみて、マイナスになることは何もありませんでした。まず、@健康を実感できます。10km走った翌日は腹が減って仕方ありません。飯がうまい(ビールも)。これは健康の原点です。次に、A自分の体と対話できるということです。走りながら、ここでペースを上げたら体がどんな反応をするだろうか、とか、今日は前半はキロ5分半で行って、後半は5分で行けばどうなるだろうか、とか試しながら自分の体の反応を見るというのがおもしろい。Bこれはありふれていますが、スタミナがつきます。どういう場面で実感するかといえば、例えば山登り。使う筋肉も似ているのであたりまえですが、一日歩いてもバテません。さらに、スキー。これも滑りまくって疲れても、しばらく休むと回復します。しかし、なぜかデパートでの買い物につきあうと疲れます。C精神的ストレスの解消になる。これは別にマラソンにかぎらず、スポーツなら何でもいいでしょう。いやなことは忘れて、物事を前向きに考えられるようになります。

福知山マラソン自己新記録(1997年)達成の記録

私は初マラソン(福知山マラソン1回大会)が4時間13分で、2回目が3時間40分でした。1年で30分も短縮したので、これなら3時間半は軽く切れるだろうと思ったが、甘かったです。
次の年はかなり走り込みました。けれど3時間45分。結果的には前半のオーバーペース(キロ4分半くらいの)がたたって30kmでフラフラになって歩いてしまいました。

それから何回か後の1997年、自己新の3時間33分を出した時は、5km地点で盲人ランナーとその伴走者(京都アイ走フレンド)の方に偶然出会いました。その伴走者の方は盲人ランナーの方にたえず周りの状況を話しかけながら1kmおきのラップを伝えていました。それがピッタリkm5分だったのです。今でもはっきり覚えています。ラップは4分55秒から5分05秒の間で一定してました。
ちょっとした坂があって5分を越えたときは、「坂だから気にしないで。」と励まし、4分台で早すぎたときは、「勝負は30km過ぎだから、ここは押さえて。」と引き止めていました。私は離れられなくなって5kmからずーっとついていきました。
それで、盲人ランナーの伴走というのがどういうことなのか学ばせてもらいました。完全な伴走は伴走者一人ではできないんですね。この時はあと二人付いていました。給水所で水を取りに行く人、周りの人に声を掛けてコースをあけてもらう人と。
それで、伴走者の人に申し出て、途中から私も伴走に協力することにしました。前を走ってコースをあけたり、水を取ってあげたりと。
折り返してからは、全体のペースが落ちるのと、昔のコースは狭いところもあったので、かき分けながら走るのが大変でした。そして、気がついたらアッという間に35kmになっていました。そこまで、きっちりキロ5分でした。
その頃にはいつの間にか伴走の仲間が自然発生的にふえていて、全部で5人ぐらいの伴走集団ができていて、その人達がたえず盲人の方に声をかけるのです。「もうあと5kmしか走れないんだ。楽しんで楽しんで走ろうぜ!」とか、「ここで遅れてはだめだ。流れに乗って行こうぜ!」と。
その声に励まされて、私も最後の7kmを走り抜けました。
結局3時間半は切れなかったのですが、自己新達成。ゴールしてから、一緒に走った方々に感謝の握手をしたのはいうまでもありません。
盲人の方も3時間半をめざしていて、それは達成できなかったけれども、自己新でした。
この時以来、マラソンに対する考え方が変わりました。自分の力だけで記録の達成なんてできないんだと。

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