Italy and Iceland の旅 No1

<行程>1999年     
7/22(木)予定は関空11:55(AZ795)―ミラノ18:00のはずだったが
       アリタリア航空機がエンジン故障で大幅に遅れたため、以下に変更
       関空12:20(JL427)―フランクフルト17:14
       フランクフルト19:20(AZ421)―ミラノ20:12 
       ミラノ(Hotel San Carlo)泊
  23(金)ミラノ市内観光
       ミラノ(Hotel San Carlo)泊
  24(土)ミラノ9:52(AZ1719)― カターニャ11:26
       カターニャ市内観光
       カターニャ(HOTEL SAVONA)泊
  25(日)レンタカー受取(カターニャ空港9:30)
       エトナ山巡検
       エトナ山麓(HOTEL CORSARO)泊
  26(月)同上、エトナ山麓(HOTEL CORSARO)泊
  27(火)同上、エトナ山麓(HOTEL CORSARO)泊
  28(水)古山,小滝両氏とカターニャ空港で12:00すぎ合流
       エトナ山巡検
       ミラッツオ(HOTEL CAPITAL)泊  
  29(木)早朝の高速船でストロンボリ島へ、
       Milazzo6:05―Stromboli7:10
       ストロンボリ登山
       ストロンボリ島(Albergo OSSIDIANA)泊  
  30(金)高速船(水中翼船)でStromboli10:05―Vulcano12:10
       Vulcano島見学
       Vulcano14:20―Milazzo15:35
       エトナ山麓(HOTEL CORSARO)泊
  31(土)エトナ山巡検
       カターニャ(HOTEL GELSO BIANCO)泊
8/ 1(日)レンタカー返却(カターニャ空港5時)
        カターニア7:01(AZ1736)―ローマ7:52  
       ローマ9:40(AZ108)―アムステルダム11:35 
       アムステルダム14:32(FI503)―レイキャビク15:28
       レイキャビク(HOTEL ESJA)泊 
   2(月)レイキャビクからヘイマエイ島へ
       ウエストマン諸島観光一日コース、ツアーNo.FXI-02
       レイキャビク発7:15―ヘイマエイ
       ヘイマエイ14:45―レイキャビク
       レイキャビク(HOTEL ESJA)泊
   3(火)レイキャビクからミヴァトン湖往復
       (グランド・ミヴァトンツアー、ツアーNo.MY-01)
       レイキャビク発8:11―フサビーク9:05、9:30―ミヴァトン9:45
       ミヴァトン20:35―フサビーク20:45、21:01―レイキャビク21:50
       レイキャビク(HOTEL ESJA)泊
   4(水)レイキャビクからキルキュバイヤルクロイストルへ       
       (スカフタフェットル国立公園コースNo. BSIーR-12)
       レイキャビク発8:30―ランドマンナロイガル13:30、14:55―NYIBAER18:45
       キルキュバイヤルクロイストル(NYIBAER)泊
   5(木)ラカギカル火山見学
       (ラーキクレイター群探訪コースNo.BSI-K-01)
       NYIBAER9:10―ラキ山12:30、16:30―キルキュバイヤルクロイストル18:30
       キルキュバイヤルクロイストル(NYIBAER)泊
   6(金)キルキュバイヤルクロイストルからレイキャビクへ(定期バス利用)
       キルキュバイヤルクロイストル12:40―レイキャビク16:50
       レイキャビク(HOTEL ESJA)泊    
   7(土)市内観光
       レイキャビク(HOTEL ESJA)泊
   8(日)レイキャビク8:40(FI208)―13:34コペンハーゲン
       コペンハーゲン20:03(AZ131)―ミラノ22:03
       マルペンサ空港近く(ホテルCARDANO)泊      
   9(月)ミラノ16:03(AZ790)―
  10(火)       ―関空10:09

<はじめに>
 今回の旅行は、当初アイスランドの火山を見るのが第一目的だったが、調べていくうちにアイスランドへはヨーロッパかアメリカを経由しないと行けないことがわかり、それならまだ見ていないイタリアの火山も日程に組み込めば一石二鳥ではないかということになり、イタリア・アイスランドの火山を見るという最終案となった。
 具体的に旅行の手配に取り組みだしたのが四月末だったため、業者への見積もり、航空券や宿の手配など全てが後手後手になってしまった(夏の旅行の手配は最遅でも5月の連休までに予約を入れるのが常識だろう)。特に夏のアイスランドは大人気(日本でではない、欧米でのこと)で、航空券も宿も早めに予約しないといけないというのが教訓の第一。また、旅行業者も慎重に選ばないと苦労するというのが教訓の第二(某大手旅行業社のF支店の対応は最低だった。海外旅行についての知識も経験もない人が担当で、しかもこの支店ではE-mailをいまだに導入していない。イタリア国内便の行先パレルモをカターニャに間違って予約していたり、ミラノに二つ空港があることを知ってなくて空港近くの宿を間違えて予約していたり、・・・、他にも細かいことがいっぱいあって・・・安ければいいというものではない、書いているうちにまた怒りがこみあげてきた)。
 旅行の手配にこれほど苦労したのは初めてだった。今回の旅行が実現できたのはひとえにアイスランド航空のHさんのおかげだ。こちらの仕事ぶりは誠実かつ確実で、安心して任すことができた。この場をかりてお礼を申し上げる。
 
<旅行情報の収集>
 イタリアのシチリア島もアイスランドも旅行情報は極端に少ない。1999/4月に地球の歩き方108「南イタリアとマルタ」が発行されたが、それでもエトナ山とエオーリア諸島の情報はほとんどない。更にアイスランドについての旅行本は皆無。
 最も参考になったのは小山真人著「ヨーロッパ火山紀行」(ちくま新書)で、この本がなければおそらく今回のような効率的な旅行はできなかっただろうと思う。
 アイスランドについては、アイスランド航空のHP( http://www.icelandair.jp/ )に詳しい情報がある。さらにこのHPで斡旋している「Iceland Now」という本は必須。
 
 たとえばストロンボリ島に渡る高速船の時刻表が日程をたてる上で非常に重要なわけで、これは( http://tirrenia.gestelnet.it/siremar.html )や( http://www.snavali.com/ )で検索できる。イタリア政府観光局にも資料を請求したが、宿のリストをFAXで送ってくれるくらいで、パンフなどはろくなものがなかった。宿なら( http://www.itwg.com/home.asp )で、ある程度は検索できる。
 いろいろと手を尽くして資料を集めたが、それでも十分でなく、ストロンボリの宿だけは小滝さんにFAXで予約してもらった。シチリア島では、有名観光地は知らないが、宿の予約は不要だった。飛び込みで大丈夫。
 それに対して、アイスランドでは全ての宿を予約して行ったが、こちらは飛び込み宿はほぼ絶望的だ。宿の絶対数が少ないのが原因で、これはアイスランドの観光シーズンが6,7,8月の3ヶ月に限定されているためホテルをたくさんつくっても採算が合わないのだから仕方がない。そのかわりキャンプ場が充実している。芝生で、シャワー、トイレ完備。キャンプ用具のレンタル店もちゃんとある。アイスランドへ来る若者のほぼ9割がたはこの方法で旅行しているように見うけられた。アイスランドの物価は日本と同じくらい高いので、これは安上がりでよい。ただし気温は日本の真冬なみを覚悟しておくこと。雨が激しく降ることはまずないが、霧雨のような雨がしとしと降ることは多い。こうなるとかなり寒い。滞在した1週間のうち晴れたのは二日だけ。あとは曇りか霧雨だった。

<通貨の両替について>
 イタリア・リラは日本で両替すれば最悪。関空では100リラ=7.7円だった。イタリアでは場所によってかなり違うが、手数料を取られて100リラ=7円くらい。私のお薦めは日本でユーロのTCを買っていって、イタリアの銀行でリラに変えるというもの。このやり方だと100リラ=6.7円になった。TCで安全ということもあるし、イタリアへいかれる方は参考に。
 アイスランドでは、カードでなんでも買える。路線バスの切符も車内で買う時カードでOK(ただし市内バスは現金)だった。だから、ほとんど両替しなくてよい。空港で3万両替したが、充分だった。

<保険>
 保険はいつもバラ掛け保険に加入している。掛け金の額はどこの会社でも同じだ。私はいつも東京海上にしているが、今回の場合、20日間で傷害(死亡3000万、治療100万)疾病(死亡1000万、治療100万)賠償(1000万)携行品(30万)救援(200万)取消(30万)短縮(10万)、これらすべてあわせて保険料は5980円だった。金額は自由に選べるようになっている。

<記録>
7/22(火)
 午前9時半、関空のアリタリア航空のカウンターは殺気立っていた。ミラノ行きAZ795便が大幅に遅れていて今日中には飛ばないという。カウンターのおねえさんに「おそらくフラントフルト行きのJAL便で乗り継ぐことになるでしょうが、もう一度1時間後に来てください」と言われた。イタリアでは予備日をつくってあるが、いきなりの変更とはついてない。重たい荷物を持ってうろつくわけにもいかず、1万円をリラに両替(13万リラ、これはレートが極端に悪い)してずっとカウンターの前で待っていた。なかなか呼び出しがなく次第に人垣が減っていった。先に呼ばれた人達は、数人ずつJALのカウンターに向かっていった。
 心細くなって待っていたが、やっと11時すぎに名前を呼ばれた。3人一緒に。以後、この見ず知らずの2人(どちらも一人旅の男)とはミラノまで行動をともにした。カウンターのおねえさんによると「JAL427便でフランクフルトへ飛び、そこからAZ421便でミラノに行ってもらいます。到着時刻は20:00頃。」ということだった。直行便だと18:00なので、2時間遅れだ。でも、まあ今日中に行ければしょうがないところだ。
 しかし、3人のうちの1人は「これだと、ミラノからのフィレンツェ行きの最終列車(9時すぎ)に乗れない。フィレンツェの宿をキャンセルしたら、保障してくれるのか?ミラノの宿は予約してくれるのか?」と食い下がっている。JAL便は12:00発なのでもう時間がない。こちらはいらいらして待っていると、「ミラノの宿は予約します。フィレンツェの宿もこちらでキャンセルします。キャンセル料はあとで請求して下さい。」とおねえさんが答えて決着した。そして、何か請求用紙のような紙を渡した。この方はそれでも不満そうだった。その気持ちもわかる。短い日程で一日泊まる場所がずれると後の日程をかなり変更しなくてはならない。こういう場合の慰謝料のようなものがあるのかどうか知りたかったが、それは分からなかった。なにせ出発が迫っている。あと30分しかない。もらったメモ書き用紙(この紙切れ1枚でフランクフルトでも乗り継ぎできた)を持って、JALのカウンターに走っていき、すぐ荷物をあずけて搭乗券をもらい、ゲートまでまた走った。乗りこんだのは出発5分前だった。
 24Dという座席はすぐにわかった。なぜかというとビジネスクラスの最前列の座席だったから。おねえさんも最初からそう言ってくれていれば、不満も解消していたのに。ビジネスクラスなんて、もちろん乗ったことがない。3人とも初めてだった。それもJALなんて。
 見れば、普段がらがらのビジネスの座席がアリタリアからまわされた客で満席になっている。ローマ行きの客は、到着時間がほぼ同じになるので喜んでいる。私もこれはうれしかった。アリタリア、遅れてくれてありがとう!(後で聞くと、アリタリアの遅れた原因はエンジントラブルだった。また、全員を他の飛行機に振ることが出来なくて、中には大阪に一泊して、遅れた飛行機に乗らざるをえなかった人もいたようだ。だから、ともかくチェックインは早めにするのが鉄則だろう。)
 さて、大きな座席、dinnerにスープとオードブルがついていて、酒も上等というビジネスクラス。スチュワーデスも美人に見える(失礼!ホントの美人だった。↓の写真。)。この体験を書いても自慢にしかならないし、どうせ乗らないみなさんの参考にもならないでしょうから、メインデッシュはひれ肉ステーキ、ワインは1995ボルドー産CHATEAU LES BELLS GRAVESだったということだけ記録して、あとはこの写真で雰囲気を感じてもらいましょう。

Jal-k.jpg (20881 バイト) デザートのケーキとコーヒーを運ぶスチュワーデスのKさん

 ほぼ予定どおり20:12にミラノ・マルペンサ空港に着いた。45kmも離れている中央駅行きのシャトルバス(13000リラ=約910円、バス代が安い)に乗る。50分かかった。ホテル SAN CARLOは駅のすぐ前にあった。シャワーをあび、洗濯をして落ちついたのが11時。ビジネスの座席はやっぱりいい。疲れ方がぜんぜん違う。時差は7時間。

7/23(水)
 7時45分起床。涼しい。朝食を食べにいく。バイキング方式。カフェラッテ(ミルクとコーヒーを混ぜて飲む)にパンとキウイ、バナナ、りんごを食べる。朝っぱらからケーキを食べる人もいる。
 朝食後ホテルの前の銀行へ両替に行く。入口が二重になっている。ユーロのTC800ユーロ=154.6万リラになった。
 今日の予定は特にない。とりあえず地下鉄の一日切符(5000リラ=約350円)を買って、最も人の集まる繁華街であるドゥオーモに行ってみた。(後で聞くと小滝さんはこの駅でかばんの中に入れていた財布をすられた。)
 スカラ座に行ってみる。正面が改装中だった。チケット売り場を探すが見つからない。

scala.JPG (33831 バイト) 左の建物がスカラ座、正面は改装中

 あきらめて近くのブレラ美術館(入場料12000リラ=約840円)に行った。ルネッサンスの15世紀頃の絵がいっぱい展示してあった。建物は古くぼろいのに、中に入るときれいし、絵のあまりの大きさ、多さに圧倒される。中学校の美術の教科書に出ていた見覚えのある絵だ。

 イタリアの街はどこへいっても古くさい建物が多い。外から見ると薄汚れていて、はっきりいってきたない。しかし、これはイタリア人が古いものを大事にしているということでもある。また、表面よりもなかみを重視しているともいえる。街角の薄汚い教会の中に一歩入ってみると、そこには立派なステンドグラスと荘厳なキリストの像が、という経験を誰でもするだろう。また、そういう目で見ると、古い町並みがそのまま文化財としての価値があることに気づく。

 美術館を出るとお腹がすいてきた。BARやレストランは外にテーブルを出している。SANS EGALという店に入ってみる。タコとジャガイモのあえもの、サラダライスにビール大ジョッキを飲んで33000リラ=約2310円だった。それほどうまいとも思えない。
 もう一度スカラ座に戻ってまわりをうろついていると売店があり、聞いてみると左手の地下にチケット売り場があるというので行ってみた。当日のオペラは「MANON」で、16万リラ、3万リラ、2万リラの席がまだあるという。売り場のおじさんが3万リラ(約2100円)の席がいいよというのでそれを買った。8時から開演なので、それまでの時間つぶしにレオナルド・ダ・ビンチ科学技術博物館に行くことにした。
 その博物館も古い建物だった。展示はいっぱいあり、暑さでバテ気味だったこともあって、とても全部見る元気がなく、途中で見つけたインターネットの部屋でE-mailを送るのに専念した。行く前に加入していた無料のHotmailが役に立った。
 さて、疲れたので、近くのスーパーで缶ビール(1本990リラ=70円)とミネラルウオーター(500リラ=35円)を買って、一度ホテルに帰りシャワーを浴びてからスカラ座に行った。夕食はぬき。
 オペラは満員で、3万リラの席は最上階の一番前の席だった。たしかに安いわりによく見えるいい席だった。オペラのパンフが買えなかったので誰が出演したのかよくわからないが主演は若い男だった。どんなストーリーかも知らなかったが、最後に恋する女性が死ぬという悲劇だということはわかった。 オペラが踊りというよりも声で聞かせるものだということを初めて知った。終演は11時半で、幕が降りても誰も帰らず総立ちで拍手だった。よほどよかったのだろう。ただ、私はまだ時差ぼけ状態で、途中で眠くなり、十分に鑑賞することができなかった。残念。でも、その声の迫力は十分伝わってきた。
                                  
Italy and Iceland の旅 No2

7月24日(土)
 5時起床。6時20分のバスで空港へ。シチリア島・カターニャ行きAZ1719は9時52分発、11時26分着。空から見たシチリア島は褐色の大地の中に緑の畑が散在しているといった風景だった。溜池も各所にあった。
 カターニャ空港は狭い空港に大勢の人でごったがえしていた。荷物を預けておこうと思ったが、預かり所がなかった。仕方ないので重い荷物を持って人をかきわけ外に出た。バスに乗ってとりあえず中心街のドゥオーモへ行った。ドゥオーモも観光客でごったがえしていた。この街はEtna山麓のMonti Rossiというスコリア丘から流出した1669年溶岩流に埋まってしまったという歴史を持つ。

catania.JPG (23401 バイト) カターニャ市内

スコリア丘Montiロッシ.JPG (20923 バイト) カターニャを埋め尽くした1669年溶岩を噴出したスコリア丘Monti Rossi

 宿はバス停のすぐ近くにあったHotel Savonaにする。重い荷物をころがしてうろつくのは疲れるのでここで妥協した。一泊朝食つきシングルで78000リラ=5460円。
 街を歩いてみたが、夕方になるとバタッと人が減った。今日は土曜日だった。近くの店に入ってスパゲッティとSPADAという魚のステーキを食べる。魚はうまい。それにビール大ジョッキ2杯飲んで25000リラ=1750円と安い。時差ぼけがまだ解消されず眠い。宿に帰って3時半〜翌朝6時まで寝た。  これでちょっとスッキリした。

7月25日(日)
 今日は、予約してあったレンタカーを借りに空港へ行かなければならない。空港へのバス停はすぐそこにある。ホテルのフロントでバスの切符はたばこ屋で売っているといわれたが、あいにく日曜日で休み。困ってバス停に居合わせたおじさんにどこで買えばいいか聞くと、これを使えといってバスの切符を差し出した。いくらと聞いても金はいらない、あげるという。イタリアにはこういう親切なおじさんもいるのだ。

 旅の魅力とは何か、と聞かれれば、さまざまな人との出会いの中で数は少ないが素敵な人と出会えること、と答えるだろう。

 カターニャ空港はこの日も人であふれかえっていた。Hertsのカウンターに行ってキーを受け取る。混雑している空港を逃げるように後にして郊外に出る。実はどこに行くかまだ決めてなかった。シラクーサに行ってもいいし、エンナに行ってもいい。
 少し走ってみて、イタリアのドライブは疲れることを実感した。ちょっとでも遅いと後ろからあおられる。どんなに前に車がつまっていても、すきがあれば追越をかけてくる。クラクションもすぐに鳴らす・・・。道路標識も分かりにくい。矢印が右を向いていても、実はそちらではなく直進だったりして。それに市街地は混んでいる。
 すっかりドライブに嫌気がさして、エトナ山に山ごもりすることにした。ニコローシ経由でリフュージョ・サピエンツァをめざす。ここには2軒のホテルがある。その1つ、CORSAROで3泊することにした。
 このホテルは1983年溶岩に完全に埋もれ、再建されたという歴史をもつ。そのためパホエホエ溶岩の上に建っている。窓から上方にはエトナの山麓、下方には溶岩と下界のシチリア東部の街、イオニア海が見渡せる。標高1900mもあるので涼しい(午後6時で12℃)。職員の対応も感じのいい宿だ。
 北西の風が強く、山頂付近はガスっていて見えない。土産物屋で地形図と地質図を探す。ビデオも売っていた。ただ、巡検案内書のような本はなかった。
 サピエンツァの東の端にスコリア丘の列があるので見にいく。
 内側にスパターが垂れ下がり、下方ではアグルチネイト溶岩に漸移している部分もある。観光客も大勢歩いている。スコリア丘をはしごして、やっと体調が普通にもどってきた。山の空気を吸ったからだろう。街の人ごみは性にあわない。
 宿に帰って夕食にする。生ビールにパスタ、カツレツ、サラダ、デザート、フルーツにコーヒーとご馳走だった。ここのホテルは宿泊客は少ないが、ツアー客の昼食や夕食を積極的に受け入れていて、食事時に観光バスが乗りつけてくる。
 フロントのにいさんは、夜は暇なのかパソコンでゲームに熱中している。それで、ゲームが終わった頃をみはからってE-mailを送れないか?と頼んでみると、こころよくOKしてくれた。Hotmailの出番だ。あちこち送って、私の掲示板にも書き込んだ。

7月26日(月)
 6時起床。外は8℃だった。天気予報は曇り時々晴。風がきつい。体がなまっているので、歩いてEtnaに登ることにする。いま溶岩が流れている3000m地点まで標高差1100mある。ちょうど大山に登るようなものだ。8:45出発。道路は1983溶岩の中を曲がりくねって続いている。溶岩流の切り割りを観察しながら歩いていく。歩いているのは私一人。

1983溶岩2.JPG (46028 バイト) 1983溶岩の断面、ロート状になっている

 途中から雲行きが怪しくなってガスってくる。水滴が服について濡れ、寒い。近くの溶岩トンネルに一時避難する。しばらくすると晴れてきた。山の天気は変りやすいし天気がくずれると猛烈に寒い。ここは3000m近い高山。なめてはいけない。10:20ロープウエイの終点モンタニョーラ駅に着く。依然として山頂付近はガスの中。ヴァッレ・デル・ボーヴェという巨大凹地を見ようと右手の方に歩いていく。縁まで行くが残念ながらガスで何も見えない。この辺りにはスコリアが降り積もっている。ここから、登山バスの終点駅フィロソーフォまでは溶岩原の中を直登する。地質図では1971年溶岩となっている。
 やっとのことでたどり着く。12:25。観光客が多い。ここからは人の流れに混じって歩いていく。あいかわらずうすくガスっている。しばらく歩くと標高3000mの標識があった。火山弾が目立ちだす。また、時折ドーンという噴火の音が聞こえてくる。活動中のクレーターSEからだろう。硫黄くさいなかをさらに進むと人だかりが出来ていた。近づくと何やら赤いものが。溶岩だ!幅は1mくらいしかないが、溶岩が川のように流れている。速度は10秒に1mくらい。真っ赤な溶岩流を見るのは生まれて初めて。そこでは、雲仙で亡くなったフランス人火山学者・クラフト夫妻のビデオで見たのと同じやり方で溶岩の灰皿を作っているではないか!まさかこれほどまで近づけるとは。足元の靴底は熱で溶けかかっているが、溶岩のそば1mまで接近してのぞいて見る。両側は堤防になっていてその中を流れている。

Etna溶岩流.JPG (22382 バイト) 溶岩流、幅約1m

 溶岩の灰皿を作っている若者の近くでまで行って写真を撮らせてもらう。出来たての灰皿一個10000リラ=700円をその場で買う。熱々だが水で冷やしてくれた。Etna99と刻印されている。

Etna灰皿つくり.JPG (36820 バイト) 灰皿つくり

 これで、シチリア島まで来た甲斐があったというものだ。
 下りは、またガスってきて寒いのでバスに乗って下山した。途中から雨になった。
ホテル着14:10。けっこうなトレーニングだった。生ビールを飲んで、ラザニアを食って昼寝。いい一日だった。夜になって晴れてきた。カターニャの夜景がきれい。

Italy and Iceland の旅 No3

7月27日(火)
 6時起床。今朝は風がなく快晴。8℃。
 こんないい天気に麓でうろつくのはもったいない。どうせまた7/30に戻ってくるんだし、その時下の方は見ればいい。えーい、もう一度登ってしまえ。今度はロープウエイとバスで。料金は往復65000リラ=4550円。9時の始発に乗る。客は少ない。10時すぎにクレーターSEの麓に着く。今日は快晴で昨日見えなかった山頂やあたりの風景がバッチリ。また溶岩のところへ行った。が、昨日のところにはもう流れていなかった。違う場所で灰皿作りをしている。目の前のクレーターは南東斜面に大きな割れ目がある。その割れ目の延長線上の麓から溶岩が流れ出している。山頂からは白い噴煙をあげ、時折ドーンという音をたてている。クレーターの表面はスコリアと火山弾でおおわれている。2m近いでかいのもある。かわいいのを一個しっけいする。

クレーターSE.JPG (27512 バイト) クレーターSE、この右手下で溶岩が流れ出していた

 噴火中の火山にこんなに近づけるなんて!エトナはすごい!
 立ち去りがたい。が、また天気があやしくなってきた。天気の変化が激しい。名残惜しいが下山する。
 夕方6時にはすっかり雲の中。CORSAROのレストランのウエイターは二人いて、FRANCESCO(年配)とLINO(若い)という。彼らは英語をしゃべらない。イタリア語で一生懸命話しかけてくる。私はさっぱり理解できないが、そんなことはおかまいなし。人のいい陽気なイタリア人だ。

7月28日(水)
 6時半起床。朝食後、ホテルをチェックアウトして、カターニャ空港へ。ほぼ予定どおりにローマからの便は着いた。ここで古山・小滝さんと合流後、3人でシチリア島北東部の海岸の町ミラッツオへ向かう。途中、エトナ山があまりにもきれいに晴れわたっているので、今日のうちに見ておきたいという二人の希望で急遽、ジアッレ経由で再度エトナに向かう。昨日と同じルートで溶岩流を見学した。私はこれで3回目。溶岩流の場所は今日も変っていた。日に日に様子が変っていて面白い。二人とも感動の様子。
 5時半までエトナにいて、ミラッツオに向かう。高速道路を北上し8時過ぎに着いた。船着場近くで宿を探し、CAPITOLというホテルにチェックインした。3人で150000リラ=10500円。ちょっとぼろい宿だが、車も置けるので便利だ。高速船乗り場はすぐそこだった。近くのAL MARINAIOというレストランで夕食。カジキマグロのステーキを食べた。ここははやっていた。
 夜、蚊がいたので蚊取線香(日本から持参)をたいた。

7月29日(木)
 5時起床。6:05の水中翼船に乗るためだ。ストロンボリ島まで31000リラ=2170円。船は予定どおり7時すぎに着いた。ただ、天気が悪い。島の上半分はガスっている。

霧のストロンボリ.JPG (34161 バイト) 霧のストロンボリ火山

 予約していた宿はALBERGO OSSIDIANA( tel:090-986006  Fax:986250   e-mail:  ossidiana@stromboli.net )で船着場の近くだった。主人は息子の嫁が日本人だとかで、日本びいきだった。それに火山についてもかなりの知識を持っている方だった。
 朝食をいただき、10時過ぎに登山(島の北側からまわりこんで登るノーマルルート)に向かう。
 島の街は小さく、また道路が狭いのでオート三輪とバイクしか走っていない。のんびりした島だ。日本でいえば石垣島。ブーゲンビリアなど南方系の花が咲き乱れている。家の壁は真っ白。これが海の青とよくマッチしている。2、3日絵を書いたり読書したりして、のんびり過ごしたい島だ。

白壁のストロンボリ.JPG (27940 バイト) ストロンボリ島の白壁の家とその間の狭い道

 魚売りのおじさんが大きな声で、歌う様な声で客を呼び寄せている。
 少年が道端でリパリ島産の黒曜石を売っていた。10cm大で70000リラ=490円と安い。
 山の中腹まで来たが山頂のガスはいっこうにとれないので、スーパーで買ったソーセージとパンとビールで昼食にして昼寝をする。
 1時間ほど道端で寝て、再び登り始め、ガスの中に突入する。山頂は918m。およそ700mまで登ったところで岩陰があったのでそこで風を避け晴れるのを待つ。一時間に3〜4回、ドーンという音が聞こえる。晴れていれば噴火の火柱が見えたのに。5時過ぎまで待機するが晴れず。寒くて我慢できなくなって下山する。途中、登ってくる何人もの人とすれ違った。ハンガリーから来たという若者のグループもいた。彼らは皆シュラフとマットを持参している。夕方から登って夜を山頂で過ごす(寝ながら噴火見物)という人たちだ。どうやらこれがストロンボリ流らしい。
 晴れていればこんなストロンボリ式噴火↓が見られたのに、残念。もう一度チャンスがあれば、来たい。

ストロンボリ噴火.JPG (12474 バイト) ストロンボリの噴火(絵葉書より)

7月30日(金)
 後ろ髪をひかれる思いで、島を後にし、ブルカノ島に向かった。10:05発12:10着。
 この島は観光化されていて人が多い。まずGNV(イタリア火山学連合)の観測所を探す。しかしここは地質図と火口カメラの画像、地震計のデータとちょっとした展示があるくらいでたいしたことなかった。そのあと、港の横の地熱地帯を見学して島を後にしてミラッツオに向かった。14:20発15:35着。
 車でエトナ山へ。ホテルCORSAROに17:15着。 

Italy and Iceland の旅 No4

7月31日(土)
 リフュージョ・サピエンツァ付近のスコリア丘に行く。ここでは火口の中に入り込んで観察できる。スコリア丘の外側には溶岩を流し出した火道らしき穴も見られる。

etna scoria cone.JPG (61807 バイト) サピエンツァのスコリア丘群、はるか下界にはカターニャの街がある

 また、広い1983年溶岩原を歩いた。パホエホエ溶岩のさまざまな形態を見ることができた。

パホエホエの断面.JPG (73186 バイト) パホエホエ溶岩の断面(上が表面、表皮状の部分がある)

 ホテルCORSAROで昼食とする。ごちそうだった。マカロニにローストビーフとコロッケにワイン。

CORSARO昼食.JPG (26519 バイト) 昼食、左は陽気なFRANCESCOさん

 昼食後、スコリア丘Monti Rossiを見て、カターニャ空港の近くで宿を探す。道に迷い苦労したが、高速道路沿いにGELSO BIANCOというホテルを見つけた。ホテルでは洗濯をして時間をつぶす。車のガソリンを満タンにした。18リットルで35000リラだった。リットルあたり130円と高い。

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