1991-ドイツの風景

 

ドイツ・ハンミュンデン.JPG (7864 バイト) カッセル北にあるハンミュンデンの古い町並み。家壁のX字型材木が特徴的

アイフェルマール.JPG (13700 バイト) ドイツ、アイフェル地方(オランダ国境に近い)のマール

アイフェル火砕流.JPG (17383 バイト) 同じくアイフェル地方の火砕流堆積物。中央の石は空中を飛んできて突き刺さったボムサッグ

ドイツの花.JPG (22932 バイト) 街角の美しい花壇、ドイツはどこも花でいっぱい

チロルの山

 私がヨーロッパアルプス、特にオーストリア・アルプスに行きたくなったのは佐貫亦男氏の「チロル日記」(山と渓谷社)を読んだのがきっかけだ。佐貫氏の経歴はよく知らないが、もうかなりの高齢であることはまちがいない。それでも本には山に足を運ぶ魅力があふれていた。オーストリアの奥深い山村の情景とそこに出てくる山の個性的な描写に惹きつけられた。中でも東チロルのフィルゲン谷奥の村ヒンタービッヘルとそこからウンバル谷をつめてクララ小屋へ、さらに谷を登り見えてくるドライヘルンシュピッツという山のくだりは何回も読みなおして、私の頭の中でイメージができあがってしまった。

ヒンタービッヘル.JPG (17856 バイト) フィルゲン谷の村

 1991年の夏、ドイツのアイフェルという火山地帯の見学旅行に行ったついでに、レンタカーで南に下がって国境を越えインスブルック経由でその谷へ行って見た。
 フィルゲン谷は混んでいてなかなか宿がとれず苦労したが、やっと見つけた安宿(Zimmerという)も、手入れが行き届いていて清潔感あふれていた。宿のおばさんに京都で買った平安朝風のハンカチをプレゼントするとたいそう感激してくれた。ドイツ、オーストリアでは部屋のかたすみにそっときれいな花がおいてある。それにゴミ1つ落ちていない。
 翌日はあこがれのクララ小屋に泊まった。ここは日本の山小屋と同じようにカイコ棚に雑魚寝だった。しかしおいしい生ビールがあり、料理もなかなかのものだった。ここから、谷をつめウンバル氷河の末端まで行き、さらに山頂をめざしたが、道が崖崩れでさえぎられていて断念した。しかし、ドライヘルンシュピッツのすぐ手前まで行き、その姿をま近にできた。佐貫氏の本ではいつ来てもドライヘルンシュピッツは雲の中だが、この2間は快晴だった。氷河の上にそそりたつ白い峰は気高い威厳を感じさせる。
はじめてのアルプスで、私はチロルの山に夢中になった。

   ウンバル谷の風景

クララ小屋.JPG (19004 バイト) クララ小屋

ウンバル氷河.JPG (13331 バイト) ウンバル谷奥の氷河、中央左手奥の山がドライヘルンシュピッツ

氷河の擦痕.JPG (15564 バイト)   擦痕(氷河によって削られた跡)、 岩石はガーネットを含む変成岩

ウンバルU字谷.JPG (12208 バイト) ウンバル谷、きれいなU字谷を上から望む 


それから3年後1994年夏、再びドイツ・オーストリアを訪れた。
 同じくレンタカーで、フランクフルトから、友人の妹でドイツ、カッセル在住のオルガン奏者・臼井真奈さんを尋ね、そこから、旧東独のアイゼナッハ、ワイマールへ行き、南に下がってミュンヘンからオーストリアへ入った。この時の統一間もない旧東ドイツの街は荒れ果て、暗く沈んでいた。

 ワイマールではナチのブーヘンバルト強制収容所を見学した。郊外の人里離れた分かりにくいところにあった。収容所の建物はほとんど破壊されていて、広い殺風景な敷地の中に一部が保存されていただけだったが、多くの写真、ガス室、死体焼却炉、人体実験に使用したであろうメスの切り傷だらけの石でできた手術台がナチの犯罪をあばいていた。

ブーヘンバルト焼却炉.JPG (6879 バイト) 強制収容所死体焼却炉 

 ミュンヘンでは市内は渋滞するので郊外のガイセンブルンという駅の近くに宿をとり、電車で市内へ通った。ミュンヘンは都会だが街に落ち着きがあり、私は大好きだ。大きな博物館や動物園を見学した。街をぶらつくだけでも充分楽しめる。

ミュンヘン.JPG (8406 バイト) ミュンヘン市内

 さて、チロルでは今回もフィルゲン谷に向った。今度は水晶館という宿の裏でテントを張った。テントをドイツ語でツエルトというのを知らず、話が通じないで苦労した。キャンピングカーでいっぱいのテント場の片隅にテントを張った。夕食は近くのスーパーまで買い出しに出かけ、鳥の丸焼きをおかずにした。焼きたてでうまかった。
 佐貫さんの本に出てくる水晶館のドーラー婆さんは健在だった。この時も天気がよく北のエッセナーロストックヒュッテまで足を伸ばしハイキングを楽しんだ。ヨーロッパでは登山とハイキングははっきり区別されている。ハイキングでは軽装で荷物はほとんど持たずに歩いている。

エッセナー・ロストック山小屋.JPG (20816 バイト) エッセナーロストックヒュッテ

 山小屋はどこも料理が充実していて、ハイカーはここで食事をしビールを飲むのが楽しみのようだ。このヒュッテではコーラ30S、ビール38Sだった。ビールが相対的に安いしうまい。

 日本人の持つアルプスというイメージはスイスよりチロルの方が近いのではないだろうか。あのサウンドオブミュージックも舞台はオーストリアだった。ここにはとりたてて高い山も険しい山もない。そのかわり、お花畑も白い氷河もそのあたりをうろつく羊もチロルアルプスの素朴でやさしい草原を演出している。

 チロルには、そのうちまた行くだろう。

オーストリア氷河.JPG (18731 バイト) 氷河の末端 

チロルの山(その2)

 オーストリアのヒンタービッヘルからリエンツを通り、そこから西に向ってイタリアに入った。Brunicoから北東方向のアールン谷奥にあるカゼルン村まで行ったが、宿がどこもいっぱいでやっとのことで田舎の民宿風の宿をみつけて泊まった。夕食はスパゲチィーと生ハムのスライスだけという質素なものだった。このあたりを南チロルという。イタリアは物価が安いのでヨーロッパ各地から避暑にくる観光客が多く宿が混んでいるのだろう。それでも静かないい村だった。

イタリアの村.JPG (15242 バイト) カゼルン村

 Brunicoへもどりさらに西に向って、ボルツァーノから北上しMeranoから再びオーストリアのエッツ谷に入った。このアルプス越えの道路はすさまじかった。ヘアピンの連続でしかも霧がかかっていた。峠の国境では検問していたがJapanというと簡単に通してくれた。エッツ谷の枝谷の奥にあるVentという村に行った。この村はシミラウンという山の氷河から6000年前の凍結した遺体が出てきたことで有名。ミイラ状の遺体は絵葉書にもなっている。ここでは宿はすぐに見つかった。宿のレストランでステーキを食べたが、すごいボリュームで味も良く安かった。世界共通だが、有名観光地よりひなびた田舎の方が食事は安くおいしく量が多い。ここでは、1日はゼルデン近くのRettenbach氷河スキー場でスキーをし、1日はWildes Mannle山(3023m)に登った。頂上には十字架があった。

氷河スキー場.JPG (16196 バイト) Rettenbach氷河スキー場 

オーストリア山頂.JPG (13781 バイト) Wildes Mannle山(3023m)頂上

スイスの山

 1994年夏、オーストリアのチロル地方を旅行した後エッツ谷を北上して下り、そこから西に向ってスイスへ入った。ハイジで有名なマイエンフェルトに泊まった後、インターラーケンからラウターブルンネンに入り宿を探した。ここでの宿探しは大変だったが、何とか見つかった。ここを起点にして、ミューレン、シルトホルンのハイキング、登山電車でユングフラウヨッホに登りTバーリフトのスキー場でスキー、グリンデルワルトからゴンドラリフトでフィルストに登り、そこからバッハゼーを通ってファウルホルン(2681m)まで歩いた。
 頂上小屋の昼食はよかった。みんな苦労して歩いてくるのはこの食事と生ビールがあるからだ。
スイスではすべての行程で天気に恵まれ、ラッキーだった。

スイス山の地層.JPG (17158 バイト) フィルスト近くの山の地層、褶曲している

スイス牛.JPG (19245 バイト) 山上湖バッハゼー、中央の山はシュレックホルン

スイス山小屋食事.JPG (19685 バイト) ファウルホルン頂上小屋のリッチな昼食

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